助けてもらうこと
介護施設の朝は最も荒れている時間だ。それぞれが決まった時間、決まった順番で起きてくるなんてことはなく、想定外の出来事に追われ、夜勤者は右往左往のきりきり舞いだ。
歩き出すと転んでしまうおばあさんが、目を爛々と輝かせて起きてきた。ご機嫌ではあるが、僕は他の方の起床介助に向かわねばならず、転倒リスクは最高潮に高いと予想出来た。
さてどうしたものか。歩けば転ぶのは仕方ないことだが、なるべく転んでしまうのは避けたい。かといっておばあさんを説得しても、忘れっぽいのでやはり歩き出してしまうだろう。
ここで妙案。いつもおしぼり巻きや洗濯物たたみなど、ありとあらゆる雑用を率先してこなしてくれる、パートさんくらい働くおばあさんに頼んでみた。
「すんません…実はこういう理由で、見守りをお願いしたいんす…」
「よっしゃー!ええよ!」
おばあさんは眠い目をこすりながら、快く引き受けてくれた。
転んでしまうおばあさんに色んなことを話しかけ、自分はエプロンをたたみつつ、おばあさんが立ち上がってしまうと、
「あら~どこいくの~座っとかないの~」
決してスピーチロックはかけず、自分に注意を向け、かつ職員である僕にきちんと聞こえる程度の声で話しかけていた。なんという高度なスキル…それを片手間にやるとは感服した。
そしてフロアも落ち着き、早番が出勤してほっと胸を撫で下ろしたところで、改めておばあさんにお礼した。
「ありがとうございます!めっちゃ助かった~」
「かまへんよ~リーダーには助けられてるからなぁ~ありがとう~」
そう、僕らは助けているようで助けられていて、助けられているようで助けている関係でもあるのだ。健全な相互依存、ありがとうがたくさん行き交う場を作っていこう。それが僕らが主体を持って生きられることに繋がる。つまり、転んでしまうおばあさんにも、こうやって助けられているのだ。