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コンチェルト大好き

中学校2年生まではピアノを習っていたが、吹奏楽部の練習の方が面白くて辞めてしまった。ハノン、ソナタなどの曲は、当時はどれもちっとも面白いとは思えなかった。
ピアノの曲を積極的に聴くこともなく、クラシックのコンサートなどにも足を運ぶことは皆無だった。
吹奏楽は好きでも、クラシックとは全く無縁の生活を永らく送っていた。

私がクラシックを聴くようになったのは、大人になってから随分経った頃である。クラリネットの師匠のK先生に言われたのがきっかけだった。どんな楽器の演奏も聴いて聴いて聴きまくれ、浴びるように沢山聴け、と言われた。
「自分の表現の引き出しを増やすためには、まず色んな人の色んな演奏を聴きなさい。選り好みは最初はしないこと。好みは聴いているうちにわかってくるものです」
という事であった。
レッスン中にも、
「ここは※ラン・ラン(中国出身の世界的ピアニスト)みたいに大げさにたっぷり歌って」
とか、
「ここの音の処理は※マイスキー(ミーシャ・マイスキー、ロシアのチェロ奏者)のバッハみたいに淡々と」
などと演奏を聴いていること前提の指示がバンバン飛んできて、ごまかしがきかなくなり、聴かざるをえなくなったのである。

初めてまともに聴いたクラシックのCDはフランスのピアニスト、エレーヌ・グリモーのものだった。確かロイヤルフィルとの共演で、曲目はラフマニノフのピアノコンチェルト2番と、ラヴェルの同じくピアノコンチェルトト長調だった。
録音当時、グリモーは16歳。聴いてびっくりした。豊かな抒情性に度肝を抜かれた。本当に16歳の少女が弾いているとは思えなかった。
そして、ロシアの地吹雪が見えるような、その素晴らしい演奏にすっかり魅せられてしまった。こんな曲を書いたラフマニノフって天才!それを表現出来るグリモーも天才!と鳥肌が立った。
ラヴェルのト長調は冒頭と3楽章にエスクラリネットのとんでもなく難しいフレーズがある。3楽章の方はオケスタに譜面があるが、冒頭のはない。これって自分に回ってきたらド緊張するやろな、と思いつつ、さらっと吹いているオケの奏者に脱帽した。勿論、緩急自在にピアノを操るグリモーの手腕には更に恐れ入った。どんな16歳やねん、と思った。

これを皮切りに、私はコンチェルトを聴きまくった。
中でもお気に入りはサン=サーンスのピアノコンチェルト5番。「エジプト風」という愛称が付いているが、中東というより中国?日本?寄りの、オリエンタルな雰囲気のある曲でもある。サン=サーンスは旅行好きだったというけれど、当時のヨーロッパの人にはそこら辺のイメージがごっちゃになっていたのだろうか。
ピアノ奏者にとってはかなりの難曲だと思うし、多分オーケストラにとってもかなり難易度の高い曲なのではないかと思う。でも聴いていてこれほどワクワクする曲もない。スリリングで、ロマンチックで、迫力満点。ありがちな表現だけど、聴いてみれば納得できると思う。音楽を聴いた感想なんて、言葉にする意味をあまり感じないのは私だけか。
毛色は全然違うが、ドボルザークのチェロコンチェルト(俗称ドボコン)も大好きである。これは色んな有名どころがいっぱい録音を残してくれているので、死ぬほど聴いた。冒頭は「ん?クラリネットコンチェルトか?」と思うほどクラリネット中心なので、それも好きな理由の一つだが、チェロが高音で歌い上げるところはどこか郷愁を感じるメロディで、たまらなく美しい。その後のダイナミックな展開との対比も大好きな理由の一つである。

編成としては小さくなるけれど、モーツァルトのオーボエコンチェルトも大好きだ。これは、ハンス・イェルク・シェレンベルガー(ベルリンフィル元首席)の生演奏を京都までわざわざ聴きに行った。
「シェレンベルガー来る時のチケット、オケのOB枠で安く買えるけど、在間さん要らない?」
と楽団指導のK先生に声をかけられた時は、二つ返事で
「要ります!」
と返事していた。
私が初めて聴いたこの曲のCDがシェレンベルガーの演奏だったのだ。生で聴けるなんて、夢のようだった。同じ楽団のオーボエの子と一緒に、手に汗握って聴いていた。そりゃもう、素晴らしいの一言に尽きた。帰りの電車の中で興奮して、二人でずっとしゃべっていたのも良い思い出だ。

ピアノ伴奏つきの楽器単体での演奏も、少人数の室内楽も勿論大好きな曲は沢山ある。だけど、コンチェルトにはソロ奏者とオーケストラの息詰まるような駆け引きがあって、そのやり取りを肌で感じる醍醐味がある。
奏者は大変だろうけど、終わった瞬間に押し寄せる感動は他のクラシックの曲にはないと思う。
やっぱり、コンチェルトは最高に楽しい。また生を聴きに行きたい。





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