得した気分
作家の故・松本清張氏は、作品のアイディアに詰まるとよくタクシーに乗った、という話を聞いたことがある。タクシー運転手というのは毎日、様々な人と会話している為、その話から良い着想を得ることがよくあったらしい。
無口な人もいるが、彼らの話は確かに聞いていて面白いと思う。
先日、姑を老人保健施設から連れて帰る際、タクシーを利用した。
最近の京都でタクシーを普通に捕まえるのは至難の業である。あふれかえる外国人観光客と、シーズン真っ盛りの修学旅行生が、我先にと利用するからだ。
施設にはタクシー会社直通の電話も備え付けられているのだが、それで配車を頼んでも大抵断られてしまう。だから最近はこの電話を利用せず、さっさと配車アプリを利用することにしている。アプリ利用料は若干取られるが、いつ来るか分からないタクシーを待つよりずっと効率的だ。
この日も私は早々に電話を諦め、アプリで配車を頼むことにした。
頼んでから五分ほどして一台のタクシーが施設の玄関前に横付けし、運転手が降りてきてきょろきょろとあたりを見回した。
ナンバーを確認すると、頼んだ車で間違いない。
「あの、『ありま』です」
玄関を出て自分の登録名を告げると、運転手は私を見てニコニコした。
六十代後半から七十代といったところか。小柄で太めの、ちょっとユーモラスな感じのする男性である。
十月にしては少し暑い日だったからか、彼はカッターシャツの両袖をまくり上げていた。かなり太い腕がニョキっと出ている。腕も顔も、日焼けして真っ黒だ。
「ああ、どうも。ご利用ありがとうございます。荷物、沢山ありませんか?運びますよ」
彼はそう言って、背を丸めて座っている姑にちょっと頭を下げると、ひょいひょいと大きな荷物を三つとも抱え、トランクに入れてくれた。
姑が乗り込むのを脇で見届けると、彼は
「じゃあ出しますねえ。○○町✕✕番地ですよね」
と私が入力した姑宅の住所を確認した。
「はい、お願いします」
私が言うと、彼ははーい、と言いながら静かに車を出した。
姑は車に弱い。ほんのわずかな距離でも酔ってしまう。
今回も酔うのが怖いのか、姑は乗るなり身を固くして俯いてしまった。
大丈夫かな、と心配しつつチラチラ見ていると、
「どちらからですか」
と彼が話しかけてきた。
「Y市からです」
と答えると、
「こりゃ奇遇やなあ。お客さん乗せる前に乗せたお客さんも、Y市から来はった方でしたわ。いやあ、こんなことあるんですなあ」
と言って、彼はしきりに驚いていた。
その驚きっぷりが面白くて、つい笑ってしまった。
「前の職場はね、同じ業界なんですけど、人遣いが荒くてねえ。嫌になって辞めたんです」
と言って、彼はある会社の名前を口にした。
「その会社の前社長の息子さん、ウチの夫と同級生で、よく話聞きましたよ。あんまりエエ話ちゃうけど」
と言って私が笑うと、彼は
「ホンマですか。じゃあ次男さんの方ですな。世の中狭いですなあ」
と言って、私と一緒に笑った。
「今の職場は物凄く良いんですわ。社長も、同僚も、エエ人ばっかりですねん。ワシもうエエ歳やさかい、そんなに長いこと仕事でけへんと思うけど、運転手生活の最後はここにしたい、と思うてますねん」
彼はしきりと会社への感謝を口にした。その言葉には実感がこもっていて、誠実な人柄がにじみ出ていた。
相槌を打ちながら、気持ちが明るくなった。
他にも色んな話をしてくれた。
『最近の修学旅行生は、小学生でもグループ行動で、タクシーを貸切ってあちこち移動する。随分値段が張るから、きっと親は大変だろう』とか、『外国人観光客があまりにも多いので、とうとう自分も慣れない翻訳アプリを入れたのだが、外国人とのやり取りが思ってた以上に面白くて楽しい』とか。
他愛のない話ばかりだったが、気さくで飾らない陽気な語り口に、とても楽しい時間を過ごさせてもらった。
ニ十分ほどの時間があっという間に感じられた。
姑宅に着くと、降りる姑の側のドアを支え、荷物をおろそうとする私を
「降ろしますさかい、それよりお母さん見といてあげて下さい」
と制して、私が姑の腕を支えるのを見届けると、荷物をおろして玄関まで運んでくれた。
「ありがとうございました。助かりました」
私がそう言うと、
「こちらこそ、ありがとうございました。お母さんも、お客さんも、お身体お大事に」
と言って、彼は運転席に戻り、ボードに何か素早く書き込むと、ちょこっと頭を下げて去っていった。
こういう気持ちの良い人に会うと、高い料金を払ってもなんだか得した気分になる。
アプリの『ドライバーの対応は如何でしたか?』というアンケートに、最高評価をつけた。
ヤサカタクシーの運転手さん、その節はありがとうございました!