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お好みでございますので

昨年末も押し詰まった十二月三十日の事である。私はいつものように仕事をしていた。

私が普段働いているのはスーパーの靴・服飾雑貨のレジではあるが、同じ一階にある商品なら食品を除き、原則どの商品でも打つことが出来る。商品の説明を求められればものによっては応援要請をすることになるが、精算を請け負う事のみなら行える。
いつも年末には一階に正月飾りの特設コーナーが設けられ、しめ飾りなどを沢山販売している。昨年は年末最後の大安である二十八日に購入される方が多く、私のいるレジにも長蛇の列ができた。だが年末ギリギリの三十日ともなると食品レジこそ死ぬほど混雑するものの、しめ飾りを購入する方は殆どない。
そんなに押し詰まってから靴を購入する方も少ないし、ウチのレジはその日割合ゆったりしていた。

そこへ、一人の老婦人がしめ飾りを手に私のいるレジにやってきた。精算を済ませ、袋に商品をしまうと彼女は真剣な顔で私を見てこう尋ねた。
「しめ飾りって、いつ頃飾ったら良いのかしら?」
思わずカレンダーを見た。今年はあと二日しかない。正月に飾るものではないから、今日か明日かの二択だ。しかしなんでそれを神社の宮司ではなく、レジ番のおばはんである私に聞くのか解せない。しかも私の担当外の商品である。
困惑してお客様を見ると、じっと私を見つめて返答を待っておられる。なんと返そうか悩んでいるうちに、次のお客様が並んでしまった。彼女の精算は済んでいるから、早々に場所をお譲り頂きたい。ええい、ままよ。
「三十一日は一粒万倍日でございますから、よろしいんではないでしょうか」
超が付く適当な答えを申し上げると、彼女はにっこりと微笑んで
「ありがとう。そうするわ」
といって立ち去った。その無心な微笑は何とも言えない罪悪感を私の胸中にもたらした。
あれで良かったのだろうか。いや、絶対良くない。彼女の家に今年一年、災厄が降りかからないことを祈るのみである。

今から一週間ほど前の事である。
紳士靴をお求めの母子と思しき二人連れの応対をした。
「これって、就職活動とか成人式とかにも履いて行って大丈夫でしょうか?」
この問いを発したのはお母さんの方である。こういう時、どちらに向かって返事すれば良いのか、は悩ましいところだ。私は思わず後ろで控えているご子息?の方をちらりと見ながら
「はい、フォーマルな靴ですので会社勤めの方もご購入されますからお使い頂けると思いますが」
とお答えした。お母さんは息子の方を振り返って
「大丈夫だって。良かったわね」
と嬉しそうに笑っている。息子は無表情で頷くのみだ。ウチの子供と同い年くらいだろう。
心の中で首をひねりつつも、ちょっと前の自分ならこんな母親だったかもな、と思いつつお見送りした。

「これ、私には派手かしら」
と言った問いをお客様から投げかけられることはよくある。明るい色目の帽子や鞄をお求めのご年配の方に多い。
慣れない頃は返答に困った。同僚のみんなはどう答えているんだろうと思って機会があれば耳をそばだてていた。
因みに課長はどんな場合も
「お好みでございますので」
としか答えない。
「そんなことございませんよ」
と言ってもお客様の心の中の迷いを全否定するようだし、
「そうですねえ、もう少し暗めのお色目の物をお持ちしましょうか」
と言っても『そんな色派手過ぎですやん、似合ってないって』と言ってるようにも聞こえて失礼だし、と言う事らしい。こちらは肯定も否定もせず、『お客様自身でご判断頂くようにする』のがコツなんだそうだ。
それを聞いてからは、この手の問いには課長と同じようにお答えすることに決めている。

もう少しで何か成し遂げられるとか、おおまかな自分の意見は決まっているけど決定打にかける時とか、新しいことを始めようと思う時に誰かにちょっと背中をもう一押しして欲しい時は誰だってある。そういう時に助言を求めるのはありだと思う。
が、自分がこれからどうするか、の判断を百パーセント他人に委ねるのは止めた方が良い。自分の人生、自分で判断しないといつまでも後悔が残る。そして上手くいかなかった時、他人を責めて苦しむのは誰でもない、自分である。他人でも自分でも、責めることによって得るものは全くない。

くる年の命運をどこ馬の骨ともわからないレジのおばはんに決めさせるのも、自分の使う靴が就活に使えるかどうかを母親に尋ねさせるのも個人の自由だが、私はお勧めしない。





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在間 ミツル
山崎豊子さんが目標です。資料の購入や、取材の為の移動費に使わせて頂きます。