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諦め上手
『何事も諦めが肝心』などと言う。
振り返れば、私も今までの人生で多くのことを『諦め』てきた。
諦めて良かったと思うこともあれば、諦めなければ良かったと思うこともある。結果として今、幸せに暮らしているので、全てはそれで良かったんだろう。私の人生はそうなるようになっていたんだろう、と思っている。
『諦める』という言葉を辞書で引くと、『だめだと思いきる』(小学館 新選国語辞典 第九版)と書いてあった。
これは『執着を手放す』ということと同義かと思う。
『執着』は辞書によれば『深く思い込んで、心がはなれないこと。思いがとらわれること』(同)とある。『手放す』は『自分のそばから放す』(同)。
いちいち尤もな説明である。
これは私の勝手な意見だけれども、『諦める』には二種類あるように思う。『した方が気持ちが良いもの』と『すると後悔するもの』である。
前者は『自分ではどうしようもないことを諦めること』である。
例を挙げてみる。
ある女性が一人の男性を好きになった。しかしこの男性の心はこの女性にはない。
女性はなんとか彼の関心を引こうと、自分磨きに精を出す。しかし男性は一向に振り向かない。
この場合、女性が諦めるべきは『彼が自分を好きになること』である。
彼を好きになるのも、自分を磨くのも、おおいにやったら良い。
ただ、『彼の気持ち』はどんなに頑張っても、彼だけのものである。彼女に関心を持つか持たないかを決めるのは、彼にしか出来ない。彼女にはどうしようもない。
この事実にちゃんと納得した上で、諸々の努力をする必要がある。この納得が『諦める』ということかと思う。
ここを『諦める』ことが出来ないと、心をすり減らす。ドンドン自分を追い込んで、惨めになっていく。果ては相手に恨みの感情すら起こしてしまい、下手するとストーカー的な人間になってしまう。
後者は『自分の可能性を自ら閉ざすこと』である。
「どうせ私なんて、たいしたこと出来ないし」「だって、私には無理に決まってるから」という、『戦う前から負けている』心理状態がこれに当たる。
例え誰かにそう言われたことがあったとしても、最終的に自分のことを『たいしたことない』『無理』と決めているのは自分である。本当はそんなことないかもしれないのに、自分で自分を勝手に安く見積もっている。
自分を変えるのは自分にしか出来ないというのに、その努力をする前から自分を投げている。自分という人間の”これから先の進化”を信じていない。現状の自分しか見ていない癖に、もういいや、進化なんてしなくても、と自分を放り出している。
この『もういいや』が『諦め』である。
前者の『諦め』と同様、自分で自分を惨めにしていることになる。そして遅かれ早かれ、必ず後悔する場面が訪れる。
自分と他者の境界線を上手に引くには、まず自分が自分を客観的に冷静に見られるようにならねばならない。
私はこういうところがある、あの人はああいうところがある、という『事実』を、好きとか嫌いとかの『感情』や、良いとか悪いとかの『判断』抜きでありのままに、ただ見ることが必要だ。
その上で、自分のテリトリーはここまで、あの人のテリトリーはあそこまで、としっかりと確認すると、自ずといい意味の『諦め』がつく。
それが出来たら、『私はどういう私で在りたいのか』を『諦め』ずに考える方が良い。
この場合も、『世間からどう思われたいのか』とか『こう言われてきたから、私はこういう人間にしかなれない』といった、『周囲』とか『世間』とかいったものの『評価』は一切不要である。
そういったものから自分を切り離す一番いい方法は、『周囲とか世間といったものは、私にはコントロール出来ないものなんだ』として潔く『諦める』ことだ。
やがて心の奥底に沈んでいた、自分の『本当の望み』が見えてくる。
すると自分の人生を生きるスタートが切れる。
諦め上手は生き方上手。
これから先の人生、なるべく諦め上手でいたいものだと思う。
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![在間 ミツル](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/104370820/profile_83f812b17ad86870ebb7f760e2ae362d.jpg?width=600&crop=1:1,smart)