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鍋『が』いい

日曜の朝はぐっと冷え込んだ。寒さは苦手だが、やっと冬らしくなってホッとする。
「今夜、何食べたい?」
早朝から海岸線をバイク(といってもポケットバイク)で流してきた夫に、帰宅するなり訊いてみる。
「それ、今訊く?オレ朝飯もまだこれからやねんけど」
困惑気味に言いながら、夫はヘルメットを脱ぐ。
「だって今から買い物行くんやもん。なあ、何が良い?」
苦手な食べ物はないが、夕飯を食べながら『○○が食べたかったな~』などと、作った者の神経を逆撫でするような発言を平気でする夫である。精神の安寧の為にも、先に要望を訊いておくに越したことはない。
夫は随分迷った後、
「うーん、鍋でエエわ」
とどうでも良いような調子で言い、背中を向けて上着を脱いだ。

この『で』が大問題である。
「鍋『が』良い」
なら、はいそうですか、と素直に鍋材料を買いに出かける。迷いはない。
しかし、
「鍋『で』良い」
と言われると、天邪鬼には
「本当は他に食べたいものがあるけど、まあ鍋でも許してやる」
という具合に聞こえてしまう。
そういうつもりはない、と夫は否定するが、こちらの心境は複雑だ。
スーパーに行って白菜やエノキを籠に投入する度に、
「ホンマに今晩は鍋でエエんやろな?」
「いやいや、エエって言うたやん」
と腹の中で自問自答が続く。

ええい、もうエエわ、はっきり要望を言わへん奴が悪いねん、と心を鬼?にして精算を済ませて帰宅すると、
「やっぱり今日は鍋にするんやな?」
という夫の念押しがあった。
今度は『に』か。関係ない人感が漂い過ぎである。
「そうや、アンタ『鍋でエエ』って言うたでしょ!」
ついムキになり、喧嘩を売るような口調で返事してしまう。
「誰も嫌やって言うてへんやん。怒らんでもエエやんか」
更に滑稽なことに、夫もなだめるような口調になる。
「別に怒ってへんで!鍋っていうたかってなあ、材料買ってきて、洗って、切っては私がせなあかんのやし!なんにもせんでも、魔法の杖を一振りしたら美味しいお鍋が出来上がってたらエエねんけどなあ!」
なだめられて、ますますヒートアップするのも変だと思いつつ、嫌味を交えて反論し、唇を尖らせる。
大人げなくくだらない、としか言いようのない争いである。

こういった会話をすると、少々惨めな気持ちに襲われる。
会話そのものがどうしようもなくくだらないことに加えて、
「もっと料理が得意で、いちいち夫に訊かなくても『今夜はこんなメニューにしようよ!』と自分が提案出来たらなあ」
という、女子力の低い自分に対する苛立ちが募る。
レパートリーが少ない自分が情けなくなる。
夫に対して申し訳ない気持ちにもなる。
最近は随分減ってきたけれど、なくなりはしない心の動きである。

「鍋『で』って言われたらさあ・・・」
そう言って上目遣いに夫を見ると、
「わかった!わかった!訂正訂正!!鍋『が』食いたいわあ!鍋にして!」
と早口で前言を修正する。
しかしあまりにも急に、しかも慌てて言われると、心からの意見だとは信じ難い。
「ホンマあ?他に食べたいもの、ない?絶対?」
疑り深く念を押す。
夫は発言に一層力を入れる。
「うん、絶対絶対。そうそう、オレ今夜は味噌鍋が良い!そうしよう!温まるし、な。ホイ、決まり決まり」
自分のデリカシーのなさを後悔しているというより、妻の神経をこれ以上刺激するのを恐れているという感じだ。事態の収束を早期にはかろうとする意図が、ありありと透けて見える。
正直、気分は良くない。

しかし、夫は夫なりに気を遣ってくれたんだろう。
いつまでも拗ねるのも大人げない。
「オーケー。じゃ、味噌鍋で決定な!」
元気に返事する。
「絶対餃子入れてや!」
一つ二つ、冷凍餃子をぶち込むのが、夫の鍋ルールである。
「大丈夫。買ってあるから」
「じゃ、頼むで」
コタツにずり込むと、夫はヤレヤレという感じで目を閉じた。

さ、今晩は味噌鍋だ。
材料を買い揃えると、段々楽しみになってきた。
二人で温まるとしよう。














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在間 ミツル
山崎豊子さんが目標です。資料の購入や、取材の為の移動費に使わせて頂きます。