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決まり文句

レジではお客様に対しておかけする、決まり文句がある。
「ありがとうございます」
はお買い上げ商品を受け取る時に言う。感謝を真っ先に表す。
次に確認事項が来る。
「中をあらためさせて頂きます」
は傘の点検をしますよ、ということ。開いて汚れや破れ、骨の損傷などがないかをざっとチェックする。
「左右のサイズの確認をさせて頂きます」
は靴の場合だ。右と左で違うサイズを組み合わせてお持ちになるお客様は案外多い。売り場の人間がいつも整頓してそう言う事のないようにしてくれてはいるが、間違いを防ぐ最後の砦は私達レジ係である。

何日か前の暑い日、私はいつものようにレジに入っていた。
最近の売れ筋は日傘と帽子だ。「すぐ使いますので、値札を取って下さい」と仰るお客様もとても多い。
十時を少し回った頃、一人の初老の男性客がやってきて、レジ台に無言で日傘を置いた。私はいつも通りにレジを打った。
「○○円頂戴いたします。お支払い方法は如何なさいますか?」
バーコードをスキャンした後は、必ずこの言葉をかけることになっている。クレジットカードなのか、現金や商品券なのか、電子マネーなのかを聞き取って、それ相応の準備をせねばならない。お客様をお待たせする時間を少しでも短くする為である。
するとこのお客様は私をじっと見つめて、やおら胸から下げた名札入れのようなケースをぐいと突き出して見せた。
『クレジットカード 一回払い』
と毛筆で麗麗と書いてある。男性はこの時既に、クレジットカードを握りしめていた。カードを取り出すスピードは年齢に反比例すると思うが、この人は例外だな、と思った。
もしかして言葉が不自由な方なのかも知れない、と思い、
「かしこまりました。クレジットカードで、一回払いで承ります」
と言って手続きを済ませた。ここまでは非常にスムーズだった。

ところが、である。
レシートを渡しながら、
「駐車券はお持ちではございませんか?」
とマニュアル通り訊くと、男性の顔色が変わった。
「あのね、ボクが車に乗ってきたなんてどうして思うの?!ボクのこの汗見てよ!家から自転車漕いで来たからなんだよ!なのに、あなたはどうして、『駐車券持ってないか』なんて言うの?大体ねえ、駐車券持ってたら普通先に出すよ!あなた、おかしいんじゃないの?!」
目を怒らせて詰め寄ってくる。ちょっとちょっと、どういう反応?最後のお言葉をそのままお返ししたい衝動にかられたが、ぐっとこらえる。

打刻する機械は全レジに備え付けてある。だから駐車券の有無は、どのレジ係も必ずお伺いすることになっている。二千円以上で三時間無料だから、靴など買うと殆どの場合、駐車料金は不要だ。
サービスカウンターでも打刻することは可能だが、そうでなくても忙しい彼女たちの負担を少しでも減らしてあげるのが同じ店に居る者の務めであるから、積極的に声掛けすることになる。
大抵のお客様は
「あっ、忘れてた!ありがとう~」とか、「そうそう、これやってもらわないとね」などと感謝して下さる。先に出す方と声をかけてから思い出す方は半々といった所だ。
この男性客のご指摘は当たらない。

謝るべきか。
一瞬迷った。確かにお客様はご気分を害されたのだろう。しかし私は『親切心』で言ったまでで、自転車で来られていることを知っててわざと言ったのではない。だから私は悪くない。よし、謝らんぞ、と決めた。
お客様はなおも食い下がる。
「どうして?ねえ、なんのつもりなの?」
私は笑顔で答えた。
「お忘れになるお客様もいらっしゃいますので、損をなさることのないよう、全てのお客様に念のためお声がけさせて頂いております」
「損ってあなた、ボクは乗ってきてないんだからしないよ!」
うーん、日本語が通じないようだ。残念。いい加減面倒くさくなってきた。とっととどいてくれ。でも謝らんぞ。
「さようでございましたら、良かったです。暑い中ご来店下さいまして、本当にありがとうございます。お気をつけてお帰り下さいませ」
ととびきりの笑顔と共に返した。
お客様はウッと詰まった。なんだ、案外簡単だったな。
心の中で舌を出しつつ、スゴスゴと帰っていくお客様の背中に、深々とお辞儀をして送り出した。

カスハラという言葉がある。カスタマーハラスメントの略だそうだ。土下座を強要したり、罵倒したり、客による店員へのそういう迷惑な行為の総称のことを言うらしい。時と場合によっては警察沙汰になるようなこともあるらしく、嘆かわしい時代だと思う。
こっちが悪くない時は謝らない。でも今回私が腹を括って対応できたのは、たまたま運よく相手が大人しかったからかも知れない。
接客業はよくも悪くも、『色んな人がいるなあ』とつくづく感じる仕事であると思う。