ご卒業おめでとう
「在間さん、お目にかかれて良かった。私、今日で勤務最後なんです」
楽器練習の為行きつけにしているカラオケ屋さんで、昨日そう声をかけてくれたのはアルバイト従業員のAさんである。
「え?もしかして大学ご卒業されるとか?」
小柄で華奢な彼女は実年齢より若く見える。卒業だとしたら、ウチの子供と同い年だ。わあ、母娘みたいなものだ、とあらためて親しみがわいた。
「はい、お世話になりました」
「いえいえ、こちらこそ。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
新社会人か。初々しいなあ、と彼女のはつらつとした笑顔をまぶしく見た。
初めて会ったのは、私が関東へ引っ越して来てすぐの頃である。彼女は途中から新人として入ってきたが、最初からテキパキと慣れた感じだった。どこかで同じようなバイトをしていたのかも知れない。いつ頃からだったかは覚えていないが、親しく言葉を交わすようになっていた。
彼女はなかなか気が強いお嬢さんだな、とお見受けしていた。
他のバイトが仕事の手を止めてグダグダと立ち話をしていると、
「ちょっとゴメン」
と肘で押しのけてお盆を下げてキッチンへせかせか歩いていく。喋っていたバイトは顔を見合わせて黙って散ってしまう。部屋のガラスのドア越しにそんな勇ましい姿を見て、プッとふき出したこともあった。
割り勘の計算をしないままレジにやってきた中学生とおぼしき集団が、レジの前でチンタラ計算していると、
「次のお客様のご迷惑になりますので、計算してから再度精算にお越しください!次のお客様、大変(彼女はここを強調する)お待たせしました!」
と言ってどかせ、次のお客の精算をする。
そんな時の彼女は言葉こそ丁寧だが、綺麗に整えられた眉が吊り上がってちょっと怖い。でも『言ってくれてありがとう』と心の中でこっそりお礼を言ったものだ。
一度、注文したドリンクを忘れられたことがある。頼んでから三十分待っても来ないので、これは忘れてるなと思った。室内にある電話で頼んでも良いのだが、その日はスタッフが彼女一人で物凄く忙しそうだったので、キッチンに直接行きバタバタしている彼女に直接声をかけた。
「お忙しいのにゴメンなさい。急がないので、後でウーロン茶持ってきて下さい。貰えるなら今ここで貰っていっても良いけど、ご都合あるよね?」
と言ったら彼女は飛び上がって
「スイマセン!忘れてました!申し訳ございません!すぐお持ちします!」
と気の毒なくらい恐れ入って、本当に『すぐに』持ってきてくれた。
「一人?忙しいのに、ごめんなさい」
と言ったら、
「いえいえ、本当に申し訳ございませんでした」
と言い訳もせず、ペコペコしてひたすらお詫びしてくれた。
帰りがけにも
「今日は本当に失礼致しました。申し訳ございませんでした。またよろしくお願い致します」
と気の毒なくらい丁寧に深くお辞儀をして、見送ってくれた。
実はカラオケ店では、楽器練習の客はあまり歓迎されない。店によっては使用時間を制限されたり、断られるところも珍しくない。
音が大きくて他の客からクレームが出かねない。特に吹奏楽器の客は楽器が汚れることを嫌って飲食をあまりしないので、大した儲けにはならない。なのに長時間同じ部屋を占領するし、安いプランを使い倒す。しかも大抵一人での利用だ。
つまり店にとってあまりうまみがない客なのだ。
それでもこの店は皆愛想良く迎えてくれるので有難い。Aさんをはじめ、二人の保育園児のママさんであるTさん、最近ようやく仕事に慣れてきた大学生のNさんなど、すっかり顔馴染みの従業員も何人か居る。Tさんは時々子供さんを連れて、ウチの店にも買い物に来てくれる。
いつの間にか慣れないこの土地にも気軽に話せるご縁が出来たことに、いつも感謝している。
Aさんは隣の市で就職するそうだ。
「お世話になりました。お元気でね」
と言ったら、
「これからも御贔屓にお願いします。今までありがとうございました」
と彼女は最後まで丁寧だった。
うーん、しっかりしているなあ。ウチの子の嫁さんにどうかしら?でも美人でしっかりしているから、もうお相手いるんだろうなあ。
なんていらない妄想をしながら、彼女に手を振った。
ご卒業おめでとう。お元気でね。