「消費」と「賞味」
先日、夫と本当につまらない小競り合いをした。原因は納豆である。
ウチの夫は在宅勤務する日を「気分」で決めている。なので、朝いきなり
「今日、在宅な」
と言われるのであるが、急に言われて困るのは昼ご飯である。私の仕事は正午を跨ぐので、仕事に出る日は作り置きをしておく必要があるのだ。
いきなり言うとはいっても定例会議の日など、ある程度の規則性はあるので大体予測はつく。だから明日は在宅になりそうだぞ、という時は夕飯のおかずを多めに作っておいたりするのであるが、刺身など、翌日に持ち越せないおかずだった時にこれを急に言われると大変困る。
まあ今は冷凍食品という強い味方もいるが、私はなんとなく使用しない。で、こういう時に困らないように、サイドメニューとして温泉卵と納豆を常備している。
温泉卵を食べるのは私の毎朝の楽しみなので、これは常にある。納豆も夕飯のサイドメニューとしても優れものだから置いておくのだが、メインのメニューによってはサイドにしづらいこともあり(グラタンと納豆とかはウチではしない)、そういう日が続くと賞味期限が切れてしまう。
先日、3日ほど賞味期限が切れているのを発見したので、まあ近いうちに食べよう、と考えて冷蔵庫に置いていた。ところが仕事から帰って流しの三角コーナーを見ると、その納豆パックが置かれている。「捨てろ」と言わんばかりである。私はそのまま冷蔵庫にパックを戻し、何食わぬ顔で過ごしていた。
翌日も夫は在宅勤務だった。私が仕事から帰ってくると、また納豆パックが流しに出してある。私はまたしても黙って冷蔵庫にそのパックを戻して、夫と普通に食事していた。
次の日私は休みで、夫は出勤した。帰ってきて冷蔵庫を開けた夫は、
「お前、これ食うんか?」
と納豆を指さした。
「うん、だって『賞味』期限やで。『消費』期限やったら諦めるけど、勿体ないやんか」
と私が言うと、
「納豆は永遠に腐らへんってことはないぞ。腹壊さへんか?」
と夫が言う。
「もともと大豆を発酵させた物やんか。大丈夫や」
自分でも随分暴論だと思いつつ、こういう時に後に引けないのが私である。
「お前、発酵と腐るのは違うぞ」
夫の意見はとても正しい。でも私は、
「兎に角、私食べるから置いといて。あんたに食べろって言わんから」
と妙な虚勢をはる。
「無理して変なもん食うなよ」
と言いつつ、納豆は冷蔵庫内の元の位置に収まった。
私が「消費」期限と「賞味」期限の違いにこだわるようになったのは、子供の小学生時代のお友達のA君の影響である。
A君がウチに遊びに来てくれた時、彼がウチのプリンだったか何かを食べたい、と言ったので出してあげようと思ったら「賞味」期限が一日切れていた。
「A君、ごめんな、あれ賞味期限切れてるねん。ちょっとコンビニで買ってくるから待っといてな」
と子供部屋に言いに行ったらA君は、
「おばちゃん!俺、それがええねん。それ食べる」
というので、
「そやけど、お客さんにお腹壊すようなもん出せへんでしょう?ええよ、気ィ遣わんとき」
と言ったら、
「おばちゃん!「消費」期限はな、切れたら腹壊すかもやけど、「賞味」期限は切れても風味は落ちるけど、腹は壊さへんのやで。だから大丈夫やって。俺、それが好きやねん。それ食う」
と得意そうに教えてくれた。
気は進まないが、一日なら大丈夫だろうと判断し、供した。A君は喜んで食べてくれたが、気になったので後日A君のお母さんに会った時に謝っておいた。
「いやあ、ウチの食生活がバレるわあ!偉そうに変なこと言うてからに」
A君のお母さんはケラケラ笑いながらそう言ってくれた。
が、A君の言葉には物凄く説得力があり、非常に感心した。以来私はとても「賞味」と「消費」期限の違いに敏感になったのである。
それまではスーパーでも奥の方に手を伸ばし、一生懸命一番奥の新しい商品を取るようにしていたのだが、A君の言葉を聞いてからは何となく悪いことをしているような気がして「てまえどり」して、ちゃんと期限内に食べきるよう、心がけていた。
だけど今回の納豆の件は大きな失策であった。常備菜にするには、納豆はちょっと日が短いのかもしれない。佃煮とかに変更した方が実用的だなあと思う。
結局、「賞味」期限の切れた納豆を食べても私は無事であったが、今後は気を付けよう。反省しきり、である。でも悔しいから、反省している事は夫には内緒にしておこう。