マネーロンダリング

子供の頃、お金を触った後に何かを食べようとすると、母は気が違ったように
「手を洗いなさい!お金なんて汚いものなんやからね!!いつどこで、どんな人が触ってるかわからへんのやから!」
とキイキイ言われた。
そう言われる度、あまりのヒステリックさ加減に
『いつもはお金が足りひん足りひんって言うてる癖に、なんでそんなにお金嫌うねん』
と腹のどこかで納得できない気持ちになっていたものだった。
子供の私には、お金が数多の人の手を経て自分のところにやってきている、ということが今一つ実感を以て分からなかった為であると思う。
私がお金の汚さを感じたのは、就職した銀行で、だった。

勤めていた支店の取引先に、割合大きな神社があった。なんでも豊臣秀吉が建立したとかで、神社としては新しい部類に入ると思う。
下鴨神社や上賀茂神社、平安神宮などを見慣れた私の目にはたいして大きいとは思えなかったが、秋にはお祭りもあったし、地元の人達は何かにつけてここにやってきて、安産祈願だの、七五三だのやっていた。私のいた支店も、営業用の車の納車がある時には、必ずここでお祓いしてもらう決まりになっていた。
小さな街ではあったが、人口はそこそこあったから、神社はなかなか繁盛?していた。

正月三が日が開け、店の営業が始まってしばらくすると、私達営業の人間がここの賽銭を数えて口座に入金するのが毎年の恒例行事になっていた。
この日ばかりは外回りを早めに切り上げ、会議室に若手の男性行員が、台車を使って二人がかりで何度も往復して運び込んだ賽銭を、硬貨収納機にかける。なんだ、機械がやってくれるなら人手なんて要らないじゃないか、と思うだろうが、大きな間違いというものだ。
まず、賽銭をブルーシートを敷いた床に広げる。こうやって賽銭と一緒に入り込んだ泥や細かい汚れなどを落とす。
これをやっておかないと、収納機が早々につまって動かなくなるからだ。この時点で既に埃っぽいから、マスクをしないとやってられない。
次に、混じっている硬貨以外のものを、目につくものからざっと拾っていく。勿論素手ではやらない。軍手必須である。
賽銭箱に金銭以外のものを入れる不届き者がこんなに沢山居るとは、この時初めて知った。
多いのはゲームのコイン。続いてアンパンマンのコインなど、おもちゃ。外貨。ボタン等もある。年の初めのお願い事をするのに、こんなもの入れて叶うとでも思っているのかな、年明け早々罰当たりな、と入れる人々の心理をはかりかねた。
額面を記した小切手は入れても良いだろう。いつも何枚か入っていた。
多いのは¥2951や¥888等だが、¥5等も見たことがある。五円なら普通に硬貨を入れてくれればこちらの手間も省けるのに、とちょっとうんざりした。
これらも紙幣と一緒に、拾い分ける。

硬貨は土ぼこりなどで汚れている。賽銭箱は当然外にあるので、入り込むのだろう。正月はいつもより多い参拝客のせいで、埃も余分に立つのかも知れない。
あまりにも汚れがひどい場合は、硬貨を洗う。私達はこの作業を、ふざけて『マネーロンダリング(資金洗浄)』と呼んでいた。
大きな笊のようなものに硬貨を入れ、警備員詰め所の小さなシンクでせっせと洗うのである。当然重さがある為、一気には洗えない。少しずつである。気の長い作業になる。勿論ゴム手袋必携である。
洗ってすぐは機械に入れられないから、新聞紙に広げて乾かす。乾いたら二階の会議室に持って行く。そして次の汚れた硬貨を持って下のシンクに行く。この繰り返しを何度も行う。
ひたすら面倒くさい。

こんな具合で、収納まで大体二、三日かかる。殆どが硬貨だから、大した入金額にはならないが、付き合いの長い大きな取引先だったので、やらざるを得なかったのだろう。
この作業をすると、自分の髪まで埃っぽくなったものだった。それに軍手や手袋をしているのに、なんとなく手が匂う。硬貨独特の、湿った金属の毒っぽい匂いとでも言ったら良いのか。あまり愉快な匂いではなかった。
洗ってもなかなか匂いが取れず、辟易した。
男性行員はこの作業の後のスーツは臭くてかなわないから必ずすぐにクリーニングに出す、と言っていた。
身に染みて『お金は汚いもの』だと知った。

今や硬貨も流通量が減ってしまったが、賽銭事情は相変わらずなんだろうか。神社によっては電子マネーで払えるところもあると聞くが、まだ一般的ではないだろう。
神社で賽銭を投げ入れ手を合わせる時、いつもあの『マネーロンダリング』の記憶が脳裏をよぎる。
私こそ、罰当たりかもしれない。