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タマネギ小屋は秘密基地

小学生の頃、冬は田圃が遊び場だった。個人の土地なので勝手に入ってはいけなかったのだろうと思うが、農家の方々も子供だからと大目に見てくれていたようだった。

私の住んでいたあたりでは、米の裏作が普通に年中行われていた。気候が温暖で向いていたのだと思う。父は「あれだけ裏作してると土地が痩せて、米が不味くなる」とよく言っていたが、キャベツ、白菜、大根、等はよく作られていた。

あちこちでよく作られていた作物の中にタマネギがあった。
タマネギは収穫してすぐ出荷というわけにいかないようで、首の部分を紐で結わえて長い棒に吊るしてあった。この吊るしたタマネギを大量に置いておく小屋が田圃のあちこちにあり、私達は『タマネギ小屋』と呼んでいた。

タマネギ小屋には壁はなく、木の棒(太さ15センチくらいか?丸太と言う程の太さはない)だけを何本か簡単に組み合わせて6畳くらいの広さに作ってある。三角形の屋根は大抵トタン葺きで、雨の時などは賑やかにテンテンという雨粒の当たる音がする。高さは一般的な住宅の1階部分くらいまでだから、渡してある木を登れば、子供でも簡単に屋根近くまで登れる。

収穫後に使うタマネギを掛ける棒は、オフシーズンにはまとめて屋根のすぐ下においてある。そうすると屋根と棒で出来た面の間に、ちょっと屋根裏部屋のような空間が出来る。
床があるから紙等を広げる事もできる。屋根があるからちょっとくらい雨が降っても平気で遊べる。
誰が言い出したのかわからないが、私達遊び仲間の間ではタマネギ小屋の事を『基地』と呼んで、しょっちゅう入り浸っていた。

周囲は見渡す限り田圃であったから、タマネギ小屋もあちこちにあった。子供が出入りする事を嫌うのか、棒を何処かに全部片付けている小屋もあり、そういう所は使えなかったが、近くに自転車を停める場所が確保でき、川(色んな生き物がいるし、ちょっと水を使いたい時に便利)が近くにあり、大人の目に触れにくい所を2ヶ所ばかり定点にして、『基地1号』『基地2号』と名付けて遊んでいた。

では『基地』で何をして遊んでいたのか。実は全くと言っていいほど覚えていない。
絵を描いたり、漫画を読んだり、トランプをした記憶はある。だがいつもそれをしていたか、と言うとそうではない。
殆ど喋っていただけのような気がする。

今思えばただ自宅を離れ、親達の目を離れた所で『子供達だけで作る子供達だけの空間』に居ることにワクワクしていただけのような気がする。ちょっとした冒険気分を味わえる。
みんなきっとそれが嬉しかったのだと思う。
『基地1号に○時集合な!』と学校帰りに約束するのは、特別感がありウキウキした。

タマネギ小屋は簡単な作りだから、風が強いと屋根が飛んでしまったり、ぺしゃんこに潰れてしまったりがよくあった。私達の遊んでいた小屋も、もうとっくに2つともない。

でもあの頃のワクワクした気持ちだけは、40年以上経った今でも、ありありと懐かしく思い出すことが出来る。