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壁に耳あり

先日仕事中インカムを着けていたら、突然こんな声が入ってきた。
「警備!警備!男性のお客様喧嘩中!至急来てください!男性社員も全員来てください!」
声は日配担当のRさんだ。時刻はまだ十時になっていない。多分つかみ合いになっているんだろう。朝っぱらから血の気の多い人がいるんだなあ、と思った。Rさんの声は緊迫して上ずっている。日用品バイヤーのSさんが食品売り場の方に向かって走って行くのが見えた。続いて食品の総括責任者のKさんがこう尋ねる声が入った。
「Rさん、場所は?」
走っているようで、Kさんの息は弾んでいる。
「アイスクリームの前です!」
息をつめて聴いていたMさんと私はこのRさんの答えに吹きだした。
「残り一個のアイスの取り合いだったりして」
Mさんは可笑しくてしょうがないらしい。クスクス笑っている。
「『これは俺が先につかんだんだ!俺によこせ!』『いや、俺のだ!』って感じですか」
私がこう応じると
「もう、在間さんのってくれるから好き~」
とMさんに言われてしまった。
喧嘩をしていたお二人は応接室にお通しして警備係がお話を伺い、小一時間ほどで穏やかにお帰りになられた、とのことだった。警備係も大変である。

こういう緊迫した声が入ることは滅多にないが、インカムを着けていると店内で起こった色々な事態が把握できる。課長が『出勤したらすぐインカムを着けろ』という意味が最近になって漸くわかってきた。
必要な情報を聞き漏らさないようにしないと、下手すればクレームを招きかねない。始終耳に何か入っている状態は、集中力をそがれてしまうので好きではないが、仕事となれば致し方ない。

が、時折必要でない情報も入ってくる。
一番多いのは作業音。インカムの通話ボタンを押したままの状態で商品出しなどをしてしまうようである。
ズザー、ズザーと段ボールを引きずるような音はグロサリー(乾いた食品一般)のことが多い。ガッチャン、と言う金属音は日配(豆腐やヨーグルトなど毎日運ばれてくる食品)の冷蔵庫のドアを閉める音である。ドカンドカンと大きな音は、洗剤など重量のある日用品を扱っている住居関連の搬入だ。ジャージャーという水の音は鮮魚担当。時折シャッシャッと包丁でまな板の水をどける音もする。今何の魚を切ったのかなあ、などと想像する。ちょっと面白い。
しかしあんまり長い時間やってると
「○○さん!インカム入ったままですよ!」
と事務所から名指しでおしかりを受けることになる。事務所は誰のインカムが通話中か、一目でわかるようになっているからだ。

作業音に続いて多いのが従業員同士の他愛のないちょっとしたおしゃべり。
「今日さあ、子供が寝坊してさー大変だったよー」
「学校遅刻しなかったの?」
「うん、間に合ったと思う。もうこっちが必死だったよー。」
そりゃお疲れさん、と一人で笑ってしまう。
そうかと思うと、
「おい、この商品まだエンド(陳列棚の一番端)に出てんのか?」
「ああ、それですか。はい、まだ出てますねえ。結構残ってますよ」
「もういい加減、値段下げないと売れねえぞ」
「本部もなんでこんな商品送ってくるんでしょうねえ。どうします?」
グロサリーだな。本部投入の商品は確かに売れづらいのが多いよねえ、と同情しつつ、店長が聞いていないことを密かに祈っておく。

先日はMさんが、このインカムが原因で課長から珍しく注意を受けた。
今年の福袋の販売は一階で行われたのだが、化粧品の福袋のところに
『お会計は靴・服飾レジで承ります』
とののぼりが揚げてあった。化粧品の福袋は人気商品で、大勢のお客様が購入されるからレジは忙しくなる。私はひえーと思っていただけだったのだが、MさんはYさんにこう不満を言ったらしい。
「化粧品のレジはちゃんとあるのに。靴を買うお客様からしたらレジが混んで待たされて、迷惑な話ですよ。専用のレジを近くに設置するか、応援来て欲しい。なんでいつも私達だけで打たされるんですか?!勝手に『このレジへ』って書くなっちゅうの!」
Mさんには気の毒だが、この発言がインカムにしっかり入っていたそうだ。当然幹部社員に問題視され、課長は店長にこってりと絞られ、化粧品の部門長に謝り、後始末諸々が大変だったらしい。
「通話ボタンはちゃんと確認してください。それから意見があるなら愚痴でなく、改善が必要な点として僕にあげるように。いいですね」
課長に理路整然と諭されて、Mさんはスイマセンと小さくなり、しばらく落ち込んでいた。

うっかり通話ボタンをオンにしたままトイレなんて行こうものなら、用足しの実況中継になってしまう。これは絶対に避けたい事態である。外していく人も多い。今のところ、私は聴いたことはない。自分もしたことはない。
ちょっと気を付ければ良いだけなのだが、誰しもやらかしてしまうことはある。スリリングなことこの上ない。
微笑ましいとか恥ずかしいくらいならいいが、人間関係にヒビが入りかねないような事態は招かないよう、発する言葉には常に気を付けたいものだ。
『壁に耳あり』を身をもって実感する日々である。