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しゃあないやんか

前の職場で一緒だったNさんはシルバー枠(六十五歳以上)採用で、短時間勤務のパートさんだった。主に和日配部門(豆腐や納豆、漬物など)の補充担当で、数少ない男性として重宝がられていた。
私はドライ(一般食品。お菓子など)の補充担当だったから、普段は滅多に顔を合わせることはなかったが、商品の搬入量によってはお互いに補充の応援に入る場合もあり、そういう時はちょくちょく話をすることもあった。
ぼそぼそとよく聞き取れない声で話す人だった。病気のせいで片方の耳が全く聞こえないからだ、と知ったのは随分後になってからである。

一時期、Nさんがかなり長い期間、続けて休んだことがあった。風邪でも引いたのかな、腰を痛めたのかな、などと考えていたら、いつの間にかちゃんと出勤してきたので、良かったな、と思っていた。
暫く経ったある日、私が補充の手伝いに行くとNさんが近寄ってきた。
「おおきにな、ドライも忙しのにすまんな」
ぼそぼそとお礼を言ってくれる。
「いえいえ。長い間お休みしてはったんですね。体調悪かったんですか?」
と挨拶代わりに話をふると、
「オカンが死んでな。葬式出してきたんや」
と言ったのでちょっと驚いた。

「それはそれは、知らなくてスイマセン。ご愁傷様でした。おいくつだったんですか?」
「九十や」
「じゃあ大往生ですね」
「おう、そやけどなあ」
Nさんは私を見ずに、ちょっと手を止めて遠い所を見るような顔つきになり、
「ワシな、死に顔見るまでオカンの顔知らんかったんや」
と衝撃的な事をぼそぼそ言った。
どういうことなんだろう。私は訳が分からなかった。

狐につままれたような顔の私と並んで豆腐を並べながら、Nさんは淡々と続けた。
「ワシのオカンはな、ワシが四つの時に家出して、他の男のとこに行ってしもてな。ワシはずーと姉やんと父ちゃんの三人家族やったんや。四つではな、オカンの顔なんて覚えとらへんて」
私は驚いた。
「へえ!・・・でもじゃあなんで、Nさんがお葬式を?」
当然の疑問が口をついて出た。Nさんは手を止めずに、
「病院からな、『遺体引き取れ』言うて連絡きてなあ」
また、ぼそぼそ言った。迷子になったおたくの犬を保護したから迎えに来てくれ、と言われたような感じの物言いである。
「えーっ!!で、行ったんですか?!」
「しゃあないわな、息子のワシに『来い』言うんやさかい」
Nさんはやっぱりぼそぼそと、同じ口調で言った。お母さんにわだかまりとか、なかったんだろうか。Nさんの心境をはかりかねた。
失礼を承知で訊いてみた。
「そうかも知れんけど・・・拒否とか、出来なかったんですか?」
「いや、『出来る』言われたけどなあ。オカンやろ。そないな薄情なこと出来るかい。そんなことしたら無縁仏やないかい」
自分の選択がさも当然だったように、Nさんは言った。
「はあ・・・」
私は二の句が継げなかった。
「嫁はんに手ェ合わせて交通費出してもろて、行ってきたがな。おかげで頭、上がらんワ。『長いこと休んでたんやさかい、とっとと稼いで来い』言われてもうたわ」
Nさんは私をちょっと見て、目が合うと苦笑いした。
私は言葉を失ってしまった。

Nさんはお母さんに対して、恨みに思うことはなかったのだろうか。四歳だったら、お母さん恋しくて泣いたこともあったのではないかと思う。そんな別れ方をした母親の遺体を引き取りに行くなんて、私だったら到底考えられない。拒否してしまうかも知れない。
「顔の白い布取ってな、『お母さんに間違いないですか』て病院の人が訊くんやけどな。全然実感湧かへんのや。『さあ、小さい時に別れたっきりで、顔よう覚えてませんにゃ』って言うたら『そうですか』言いよったわ」
ぼそぼそ言いながら、呆れたように笑ったNさんの顔を、私は何とも言えない気持ちで眺めていた。

Nさんのお母さんは、Nさんの近所のお寺にちゃんと埋葬してもらったそうだ。住職さんがNさんの友人で、万事快く引き受けてくれたとのことだった。
「あの人、ええ人生やったんと違うかな。旦那と子供ほっぽり出して、好きな男のところに行って、最後は息子にちゃあんと供養してもろて。ワシ、幸せな人生やったと思うで」
Nさんはやっぱりぼそぼそ言って、私を見てちょっとニヤッとした。
「そうですね。そうかも知れませんね」
「せやろ、こんな幸せな人生あれへんで」
「Nさんも親孝行出来ましたね」
「ホンマや」
私達は顔を見合わせて笑うと、喋るのをやめて豆腐の補充を続けた。
私はなんだか胸がいっぱいになっていた。

十人いれば十人分の人生ドラマがある。
親しくしてくれるあの人にも、さっきすれ違ったあの人にも。
私は自分の知ったそれらを出来るだけ、忘れないでいたいと思うのである。