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正しい努力

K先生にクラリネットを習っていた頃の話である。
「貴女は『歌う』ことが出来ませんねえ。そういう人にはこの課題をやってもらうことにしているんですよ」
と渡された楽譜は、バッハの『無伴奏チェロ組曲 第一番』をクラリネットで吹けるようにアレンジしたものだった。
強弱記号、スラー、スタカートなどの指示が一切ない。
「どこをどうするか自分で考え、どう『歌う』かを試行錯誤しながら表現してみなさい。正解はありません。貴女の、感覚で仕上げてきてみて下さい」
そういうと先生は面白そうにこちらを見て、肩で悪戯っぽく笑った。
途方に暮れてしまった。

この曲はスピードこそゆっくりだが、細かい音符がこれでもか、というくらいひしめいている。チェロだとどうなのかは知らないが、クラリネットだと嫌な運指のところも沢山ある。
音符を正確にさらわないことには表現なんて無理だ、と考えた私は、まずゆっくりと正確に吹くことに専念した。
ただ練習するだけではつまらない。自分の励みになるように、と表紙の裏の空いたところに練習した回数を『正』の字で書いていくことにした。
毎日毎日少しずつ『正』の字は増えていって、ほぼ暗譜で吹けるようになった頃、翌月のレッスンになった。
なんとかつっかえずに吹けて、内心胸を撫でおろした。

先生は顎に手を当てたまま私が演奏するのを聴いてらしたが、終わるとそのままの姿勢を崩さず、
「で?」
と仰った。
どう返事して良いか分からず、
「はあ、終わりです」
とだけ答えると、
「だから、貴女は今の演奏で何が言いたかったんですか?」
強い苛立ちを容赦なく言葉の端々に滲ませながら、先生は口をへの字にして黙りこんだ。
どうしようもない落胆と呆れ、自分の意図したことが伝わっていないことに対する怒り、そんな感情をダイレクトにぶつけられた気がした。予想外のことに狼狽え、慄いた。
何も言えなくなってしまった。

「僕が前回言ったことをちゃんと聞いていましたか?僕は『歌う練習をしてきて下さい』と言ったんです。『間違えずに吹いてこい』とは言っていません。そんなことしなくて良いんです。練習すれば誰だって正確に吹けるようになりますから。貴女はそれをしない人ではないでしょう?それなのになんですか、この『正』は!」
堰を切ったような勢いで一気に言い切ると、先生は楽譜の表紙の『正』の字をバン!と叩いた。
思わず首をすくめる。
しかし怖くはなかった。私に対する先生の信頼が嬉しかった。だからその意図をはき違えた自分が、一層恥ずかしく情けなかった。
何やってたんだ私、と後悔したがもう遅い。
「演奏する人間は聴衆に何かを伝えなきゃいけないんです。怒り、悲しみ、喜び、自分の中のそういった感情を音楽を使って表現し、聴衆にその感情を一緒に味わってもらうのが『演奏する』ということなんです。今の貴女のは演奏ではありません!」
言葉の一つ一つがズシンと応えた。

「回り道をすることが必要な時もあります。でもせっかく僕に習っているんでしょう?貴女は正しい努力の仕方を教わっているんです。無駄な時間と労力を使わないようにしなさい。『しんどければ上手くなっている』なんてことは音楽にはあり得ません。根性論は音楽には不要です。身体を傷めては元も子もありません」
先生は吹奏楽愛好家の『スポ根』を美化するような側面を、とても嫌っていらした。この時までは単なる吹奏楽アレルギーかと思っていたが、こういう理由だったのか、と大いに納得した。

帰ってから次のレッスンまで、名だたるチェリストのバッハを聴きまくった。
奏者によってこんなに表現が違うんだ、と驚いたし、チェロという楽器の音域の広さと表情の豊かさに感心し、これをクラリネットでやるのは大変だぞ、とあらためて腹を括った。
自分なりに練習して臨んだ次のレッスンでは
「やり過ぎです。貴女って人は。大方、ヨーヨー・マあたり、熱心に聴いたんでしょう」
と苦笑されてしまったが、
「でもま、それが『演奏する』ってことです。分かってもらえれば良いんです」
先生はそういうと、満足そうに目を細めた。

人生に於いて、必要な回り道が用意されていることもある。
でも折角目の前に正しい努力の仕方を教えてくれる師がいるのなら、一度素直になって従ってみるのが良い。
ことクラリネットに関してだけではなく、そう思う。
未だに心に残る、先生の教えである。






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在間 ミツル
山崎豊子さんが目標です。資料の購入や、取材の為の移動費に使わせて頂きます。