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トリ?

子供の頃は様々な生き物を飼っていた。
田舎だったから身近に自然の生き物が沢山居たし、それらを捕まえて帰っては飼うこともあった。父は小鳥の飼育が上手で、キンカチョウやジュウシマツを番で育てては卵を産ませ、ヒナを孵させていた。
母はこういった生き物の苦手な人だったが、父の影響の方が大きかったとみえて、私達姉妹は生き物の好きな子供に育った。
名前を付けては可愛がり、命を全うすれば庭の片隅に小さな墓標を建て、泣きながら埋葬した。
ペットを飼うということはそういうものだ、と当たり前のように思っていた。

夫の父も生き物を育てるのが上手な人である。
私が夫と結婚した頃は、家にはセキセイインコとランチュウが居た。インコは義父によくなついており、籠に近づくと餌をねだってにじり寄り、甘えた声を出していた。
夫が子供の頃はこの上に猫がいたらしい。悪戯ばかりする夫は猫に嫌われていたらしいが、義父のことは大好きで、夕飯時には胡坐の中におとなしく収まって丸くなっていたそうだ。
ここまで聞くと、私の実家も夫の実家も同じようにペットを愛でていた、と思う。
しかし、両家で決定的に違うことがある。
夫の家はペットに名前を付けるという習慣が皆無なのだ。

婚約中に夫の家に遊びに行き、初めて義父のインコを見た時、私は籠越しに相手をしながら、
「この子、なんていうんですか?」
と義父に尋ねた。すると義父は
「名前か?ない。『トリ』て言うとる」
と淡々と答えた。
その言い方がまるで『ペットに名前なんて必要ないに決まってるじゃないか』と言わんばかりだったので、私は咄嗟に
「あ、そうなんですね」
とさらりと流すことにした。
折角義父と親しく喋る機会を得たつもりだったのに、いきなり出鼻をくじかれてしまい、なんだか虚しかった記憶がある。
義父にはどこか冷たいところがあるのかも知れない、と少し不安にも思った。

ところがその後、私は一層驚くことになった。
夫の家では義父だけではなく、この不思議な習慣を家族全員が当たり前のこととして受け容れていたのである。ペット好きの人が聞いたら多分、信じられないだろう。
猫は『ネコ』。ランチュウは『ランチュウ』。鳥は『トリ』。全部まんま『種の名前』で呼ばれているのだ。
「生き物に名前なんて付けるか?」
夫が不思議そうにそう尋ねた時、私は驚いた。
「普通付けるやん!だって可愛がる時、なんて呼ぶの?」
「別に呼ばへん。『おーい』って言うだけやんけ。そう言うたらこっち向くやん。大体、金魚に名前なんか要らんやん。呼ぶこともないし」
「愛情湧くとか、ないの?」
「愛情とは別やろ」
「そうかな」
「そうやで」
どこまで話しても、両者の溝?はついに埋まらなかった。
この点に関しては、お互いに自分の実家の価値観こそが一般基準だと思っているので、未だにお互いを『コイツの実家は変な家やなあ』と思っているままである。

夫の話によると、子供の頃はペットが亡くなればやっぱりお墓を作り、ねんごろに弔ってやっていた、という。だから別に愛情がなかった訳ではないのだと思う。
きっとペットを『家族』と考えるか否か、の感覚の違いなんだろう。私の実家にとっては『家族』で、夫の実家にとっては『飼っている生き物』なんだと思う。
一緒に暮らしている命を大切に思うかどうか、に名前は必要ない・・・のかも知れない。
私にはちょっと抵抗のある考え方だけれど。

そう言えば夫は、私のことも名前で呼んだことがない。
『お前』ならまだ良い方で、『おい』『なあ』『ちょっと』という呼びかけで省略されてしまっている。
私はペットと違い、生まれながらに名前がある。たまには呼んでくれても良いと思うのだが、結婚以来下の名前で呼ばれた経験は皆無である。
『愛情とは別』らしいから、ま、良いんですけどね。









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