納豆は誰のもの
土曜日の我が家の夕食はカレーに決まっている。
私が楽団の練習に行くからである。作り置きが出来、量の調節を各人で好きにしてもらえるカレーは、サラダでも添えておけば十分なので、私が出かける時にはとても有難いメニューなのだ。
早くから作っておけるし、温めなおすのも簡単でいい。
夫の大好物でもある。「明日はカレーね」と言えば、すっかりえびす顔だ。
つまりカレーはあちゃこちゃ出かける主婦である私にとって、どこまでも都合よく出来ている。
しかしいくら好きだとは言っても、毎週では流石に飽きるらしい。
なので時折ルーの種類を変えてみたりはしている。今はメーカーも工夫して様々な味のものがあり、結構楽しめる。
正統派のカレーが好きな夫にとっては、ごちゃごちゃコーヒーだの、ヨーグルトだのを素人が入れるのは許せないとのことなので、味のバリエーションは専らメーカー任せである。
夫の方はトッピングに変化を持たせて楽しんでいる。福神漬けにこっていた頃もあるし、今はラッキョウのバリエーションを楽しんでいる。
変わらないのは生卵を一つ、必ずご飯を窪ませて中央に落とすことくらいだ。
しかし昨日、夫は何を思ったか突然、
「今日は納豆をカレーにトッピングしてみたい」
と言い出した。
我が家は納豆を常備しているから、いつでも食べることは出来るのだが。
黙って呆れている私に向かって、
「ココイチのトッピングにあるくらいから、そんなに荒唐無稽な取り合わせでもないんやぞ」
と、訊いてないのにムキになって力説する。
こんなことを思いつくなんて、余程ヒマらしい。
別に夫がカレーをどんな味にして食べようと勝手である。
それは良いのだが、夫が納豆を食べると困る事情が私にはある。
イソフラボン補充の為、私は毎朝納豆を欠かさないようにしている。更年期だからって何といって症状はないのだが、意識的に摂取するに越したことはないと思うからだ。納豆は大好きだし、植物性蛋白質も摂れるし、良いことづくめである。
このように自分の健康のことを考えて、私が毎朝食べる為に置いてある貴重な納豆を、ヒマ過ぎて考えることがない夫の、珍妙な思い付きの為に一つ消費されるのはどうにも納得がいかない。
減らしても補充してくれるなら構わないが、自分のビールですら補充しない夫である。納豆の補充なんて何をかいわんや、だ。
「えー私の納豆、減らさんといてえや」
私はむくれて訴えた。
「なんでや。一個くらいエエやろ」
夫、ムキになる。
「私は更年期で、イソフラボン補充せなあかんのにい。なんでカレーに入れんねん」
私もつられてムキになる。
「納豆はお前の食いもんって決まってんのか?」
いつものように、不毛な言い争いの口火を切ったのは夫である。
「うん、私のや」
負けるもんか。
「あかん。オレは絶対にカレーに納豆入れてみたいんや」
夫、後には引けなくなりました。
「あ、そう。じゃあ食べてみいさ」
「おう、そうするわ。案外マイルドでエエかもしれん。これからはいつもそうするかな」
ほほう、言うたな。
お手並み拝見といこう。
私は矛を収めることにして黙った。
今日は帰省で疲れているから、明日の終日練習に備えて練習は休み、夫と一緒に夕飯を食べることになっていた。
私を言い負かした?夫は、嬉々としてカレーに納豆をぶっかけた。
私はおどろおどろしい食べ物を横目で見ながら、黙って自分のスプーンを口に運んでいた。
どんな反応しよるかな、とさりげなく観察していると、
「お、ほほう」
一口食べて、夫は何とも言えない顔をした。心の中で『ほら見たことか』とほくそ笑む。しかし顔には出さぬ。
「ふうーん、こんな味かあ」
私が何か発言するのを待っているのか、夫はしきりに言葉を発する。が、決して『ウマい』とは言わない。そりゃそうでしょうよ。ああ、私の貴重なイソフラボンが。勿体ない、と思いつつ、黙っている。
納豆が可哀想になる。
結局夫は全く具体的な感想を言うことなく、普通にご馳走様をして食事を終えた。
多分今後は二度と、『納豆をトッピングする』とは言いださない、と確信した。
納豆ひとパックという貴重な犠牲を払って、夫の妙な思い付きはあえなくお終いになった。
やっぱり納豆は私のもんや。もう変な食べ方するんやったらあげへんで!