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頑張って下さい

先週のことである。
レジに入っていると、一人の男性がやってきた。片手に小さなメモを握りしめている。
「ちょっとお尋ねしますが」
「はい、いらしゃいませ」
道案内か、靴のサイズ探しか、と身構えると、
「エプロンと三角巾はどこに売ってますかな?」
と想定外の質問がきて、ちょっと驚いた。
プレゼントかなあ?でも三角巾とはまた古風な、と思っていたら
「どっちもどこに行ってもなくて困っとるんですわ」
と言って、男性は渋面を作った。

三角巾なら分かるが、エプロンがどこに行ってもない、というのは考えにくい。探すのが不得手なのだろうか。
歳の頃、七十代後半から八十代くらいに見える。腰は少し曲がっているが、しっかりした足取りだし、耳もよく聴こえておられる。売り場を探せない、という感じではない。
「二階にエプロンコーナーがございます。エスカレーターで上がって頂くとすぐでございます」
二階の衣料品売り場には、スーパーにしては割とマシなエプロンが揃えてある。自宅用というより、プレゼント需要を見込んでの展開だ。母の日などにはよく売れる商品である。
普段からバカスカ売れるものではないため数は置いていないが、このご老人のお眼鏡にかなうものがあれば良い。

が、次に仰った言葉は意外なものだった。
「いやあ、今度『男の料理教室』ちゅうのに行くことにしまして。持ってくるものにエプロン、三角巾、と書いてあったんで、探しに来たんです。女物のエプロンは、紐が短くてねえ」
なるほど。
男性用のエプロンなんて、二階にはない。
残るは三階のキッチン関連売り場か、DIY売り場か。しかしDIYコーナーに三角巾はないだろう。
あるとしたら学校関連か?だったら子供用品売り場だ。中学生くらいまで必要なものが一通り揃っているから、もしかしたら大人でも使えそうなものがあるかも知れない。
推理していてもしょうがないので、取り敢えずインカムで問い合わせる。
「男性用のエプロンと三角巾、お取り扱いある売り場、どこかにございますでしょうか?お客様がお探しですので、応答お願いします」
インカムは暫くシーンとして、誰からも返答がなかった。
「ダメでしょうなあ。参ったなあ。どこ行きゃ良いんだ・・・」
マイク片手に待機する私を見ながら、男性は落胆した様子を見せた。
ネット通販だと容易く見つかるんじゃないでしょうか、と言いたいが、そう出来るならわざわざ出歩いて探し回ったりしないだろう。

「住居関連のOです!こちらのキッチン関連売り場にお取り扱いございますが、数は少ないです。それでもよろしければご案内下さい」
待つこと約一分。もうダメかなと思ったら、三階のベテラン社員Oさんが返事をくれた。
ある、という事実に驚きつつ、
「お待たせしました!三階でお取り扱いありますが、ほんの少しだそうです。それでもよろしければ、どうぞ」
と言うと、男性の顔がパッと明るくなった。
「あるの!ここ、凄いねえ!あるって言われたの、初めてだよ!三階だね!ありがとう!」
男性は嬉しそうにお礼を言って、颯爽とエスカレーターに向かった。
気に入ったのを見つけられると良いんだけど。
微笑ましい気持ちで見送った。

時折、地区の広報誌に『男の料理教室』と銘打った募集記事が載っていることがある。
『独り暮らしで食事がおろそかになっていませんか?』
『たまには腕をふるってみましょう!気分転換にもなりますよ』
などという文言が添えられている。
男性もそれを見て応募したのだろうか。

伴侶に先立たれて、慣れない家事を前に途方に暮れる男性が多いのはちょくちょく聞く。それまでやった事のない毎日の作業が、年齢もあって重荷になってしまうらしい。生きる気力にも繋がる、切実な話である。
今時の男性は奥様と家事分担も上手になさっている方が多いから、こんなことになってもそう慌てないだろうけど。

件の男性は、単に面白そうだから参加することにされたのかも知れない。
だとしたら、こんな邪推をするなんて失礼だ。
きっかけは何でも良い。料理するのは脳トレにもなる。初めては疲れるだろうが、自信もつくだろう。
エプロンと三角巾を付けた彼を想像して、頑張って下さい、とマスクの内側で小さく呟いた。





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在間 ミツル
山崎豊子さんが目標です。資料の購入や、取材の為の移動費に使わせて頂きます。