見出し画像

いい夫婦

子供の頃、父方の祖母と家族揃って、天橋立に日帰りで旅行したことがある。
小学校低学年くらいだったので、あまりはっきりとした記憶がないのだが、松が植わっている長い海岸線をずうっと歩いたように思う。
日頃から徒歩通学だったし、毎日遊び歩いていたから、歩き疲れたとは感じなかった。父と母と妹が先に一緒に歩き、私と祖母がその後ろを、少し遅れてついていっていた。
父と母が何か喋って笑いあっているのが、後ろにいる私と祖母から見えた。
その時、祖母が目を細めて、
「お父さんとお母さんは、いい夫婦になってくれたねえ」
と嬉しそうに言った。
咄嗟にどう返事したら良いか分からなくて、私はちょっと黙り込んでしまった。

そもそも小学校低学年の私に、『いい夫婦』の概念が分かろう筈はなかった。
それでも『大草原の小さな家』のお父さんとお母さんのように、お互いを思いやり、協力し、時には意見の相違でぶつかることはあっても、深い信頼で結ばれているのが『いい夫婦』なんだろう、というぼんやりとした理想像くらいは思い描いていた。そしてウチのお父さんとお母さんは全然あんなじゃない、ということもハッキリと分かっていた。
父がいなければその悪口を言う母。母がヒステリーを起こせば不機嫌にむっつりと黙り込む父。そんな両親の機嫌を損ねまいと常に気を遣ってきた私にとって、祖母の言葉は真実を知らない者の言葉に聞こえた。
結局私は随分遅れて一言、
「そうかなあ」
と返事しただけだった。
しかし祖母はそんな私の心の逡巡に気付いた風もなく、ただ嬉しそうに二人の背中を眺めて微笑んでいた。
私は不快なような、でもそれを口にしてはいけないような、複雑な心境だった。

自分があの頃の祖母の年齢に近づくにつれ、気付いたことがある。
祖母は結婚後数年で夫を戦争に取られた為、夫婦で十分な時間を過ごしていない。子育ての方針を巡って対立したり、お互いの良い所も嫌な所も十分に見ることもないままだったろう。将来のビジョンを一緒に描くこともなかったに違いない。
結局『いい夫婦』になる時間など殆どないままに、永遠に会えなくなってしまったのである。
どんなに口惜しかったろう。

祖母は息子が成長し、自分がなりたくてもなり得なかった『いい夫婦』になってくれたことが、一際感慨深かったのだろう。
自分の稼ぎで奥さんと子供二人を養い、こうやって母親を一緒に旅行に連れてきてくれる・・・細かい内情はどうであれ、それだけで祖母には十分すぎる『いい夫婦』だったのではないか。
幸せをかみしめるように言った言葉と、それを言った時の祖母の満足そうな微笑みが、未だに私の脳裏に焼き付いている。

おばあちゃん、ホンマはお父さんとお母さん、エエ夫婦なんかと違うで。
お互い悪口ばっかり言うてんで。
しょうもないことですぐ喧嘩もすんで。
私、イチイチ気ィ遣うて大変やねんから。
そう言いたかったのに、その言葉を私が吞み込んでしまったのは、私の目に映る祖母が、あまりにも嬉しそうに微笑んでいたからであると思う。

手前味噌だけれども、私達夫婦もそこそこ『いい夫婦』なんじゃないか、と思う。
相手の短所も長所もすっかり分かっていて、いい意味で諦めもついている。しゃあないなあ、と受け容れて、お互いにフォローの仕方も知っている。
時にはぎゅうと言わせることも必要だけれども、『コイツはこういうヤツ』とお互いにゆるく思えている。
長くつきあったから、だけで生じた訳ではない信頼が、お互いの心に日々ゆっくりと深く根を下ろしつつある。
お互いが自立し、お互いの静かな応援者になっている。
有難いことである。

今の私達を見たら、祖母は何というだろうか。
ちょっと訊いてみたいような気がするが、きっと目を細めて
「ミツルちゃん、いい夫婦になってくれたねえ」
と喜んでくれるんじゃないか、と思っている。
夫は今日、友人と飲み会に行くと言って、足取りも軽く出かけていった。今日が『いい夫婦の日』だなんて、頭の片隅にもないに違いない。
思い出の中の祖母の笑顔に免じて、許すことにしようと思う。