不純物
私の実家の母は、所謂「隠し味」的なものをカレーによく入れていた。インスタントコーヒーの粉だったり、蜂蜜だったり、ヨーグルトだったり・・・。その時々で色々変わったが、味音痴の私にはたいして差はわからなかった。
自分でカレーを作るようになって、ちょっとでも美味しくしたい、味に変化を持たせたい、と思って母がやっていたのを真似て色々なものの投入を試みた。
しかし食べてみても、私にはそんなに差はわからなかった。
ところが、夫は味にやたら敏感だった。ほんの少し入れたものでも、すぐに気付いてしまうのだ。一口食べるなり、
「おいっ、カレーに何入れた?」
詰問口調でこう言ってギロリと睨む。真剣でちょっと怖い。
「え?インスタントコーヒーの粉。ほんの少しやで」
良かれと思ってしたことなのだから後ろめたいことはないのだが、この口調で問い詰められると、つい言い訳めいた言い方になってしまう。
そういう時、夫は私の返事を皆まで聞かず、こう厳しく言い放つ。
「カレーに不純物を入れるな!」
夫の意見はこうだ。
カレーは日本の国民食となって、もう長い歴史がある。各食品メーカーは売れる美味しい商品を出すべく、日夜必死で努力して商品を生み出している。そんなルーが美味しくない訳がない。なのに素人がなんの根拠もなく、ただ何となく思い付きで混ぜ物をすると、折角のメーカーの努力が水の泡である。
違う種類のルーを混ぜるのもダメだ。各商品はスパイスの調合など、それぞれ研究されつくして開発された、素晴らしい個性がある。混ぜ合わせてしまうとその個性が無茶苦茶になってしまう、というのだ。
一理ある、とは思う。
それでもめげずに私は何度か「不純物」の投入を試みたが、いずれも見破られた。結局この人には何を入れてもバレてしまうのだ、と諦め、もういいや、たかがカレーだし、とこだわりを全くなくしてしまった。夫の指定した銘柄のルーを箱の説明通りに溶かすのみ、になった。
私もルーだけの方が楽だし、何も考えずに美味しいと言ってくれるならそっちの方が良い。「不純物」を入れることで、楽ちんなカレーと言うメニューでも、自分なりに工夫して料理しているような気になっていたが、そんなことに拘泥しなくてもいいや、と思えるようになった。
「不純物」なんていう言い方は、美味しさを真面目に追及している人にとっては気持ちを逆撫でする、嫌な表現だと思う。私も当初は非常に腹が立った。良かれ、と思ってしていることに対してその言い草はなんやねん、失礼な、と腹も立ったし、実際にそう反論したこともある。だが夫は一歩も譲らなかった。
夫は他人にはこういうことは絶対に言わないが、身内には殊に辛辣なことがある。姑に対しても時折、配慮に欠ける言葉を発しているのを耳にし、ヒヤヒヤしたことも何度かあった。悪気が全くないので始末が悪い。
この件に関して言えば、夫と私はフォーカスしているところがズレているのだと思う。
夫にとって隠し味は、上記の理由で本当に「不純物」なのである。不純物は不純物で、誰がどんな気持ちで入れようと間違いなく不純物だ。入れる必要はない。絶対に何も入れない方が美味しい。なのに妻はそうしないので、苛立つ。
私の方は例えばコーヒーを「美味しくなる魔法」のような気持ちで、期待感を以て入れている。そして実際に美味しくなることより、夫から「お、ちょっといつものカレーと違って美味しいな!何入れたん?」という言葉を貰えることを「期待」している。
ところが夫からは「不純物」という、「不要なもの」「余計なお世話」と言わんばかりの言葉が浴びせられる。これ以上ない、「期待」の裏切られ方である。気持ちが折れても当然だ。
夫は私の「期待」に気付いていない。気付いても答える必要性を感じない。「鈍感」というか、「女心、妻心をわかっていない」という解釈が妥当だと思う。
じゃあ夫が「これ、何入れたん?いつもと違うなあ。でも俺、何も入れへん方が好きかな」とオブラートに包んで言ってくれればいいのだろうか。
幾分ソフトな表現にはなるが、言っていることは同じだ。そしてこれだと、私はもう一度コーヒーを投入する気になるかも知れない。
キツイ言い方であはあるけれど、私を憎く思っての言葉ではない。夫は思ったことをそのまま口にしてしまう、裏のない「真直ぐな人」ということだろう。
かといって、気持ちの良い発言ではない。配慮のない発言には、ちょっとお灸を据える必要がある。それで、
「はーい、『不純物』なしのカレーですよー」
などとちょっと嫌味に、笑顔で言ってみたりしている。どうもこっちの方が夫には堪えるようだ。
「だって、不純物やんけ」
とブツブツ言いながら少しバツの悪そうな夫の背中を、黙ってニヤリとして眺めている。
夫の言葉に「傷ついた!」と悲劇にして亀裂を作るのも、笑顔でやり返してそれとなく自省を促すのも、全て私次第である。
上手に舵取りして、二人の時間を上手に紡いでいきたい。