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疲れの出方

子供の頃は遠足や運動会などの大イベントがあると、その日のうちにバタンキューと寝てしまい、翌日には通常通りに完全復活する、という感じだった。
尤も身体の弱い子だった私の場合は、取りきれない疲れが少しずつ積もっていき、何ヵ月かに一度の割で喘息の発作を起こしたり、ぐずぐずと微熱が続く、といったわかりやすい症状が出ていたが。
この当日中に疲れを精算出来る体質は、二十代後半くらいまで続いた。

三十代になり結婚したての頃までは、まだ二十代の体力を十分維持出来ていたと思う。
劇的に自分の体力が落ちた、と感じたのは何と言っても出産後である。
たった一度の出産ごときで何を言うか、と世のお母様族からはお叱りを受けそうだが、振り返ってみると私にとっては、あの一大イベントの前後で自分の疲れ具合が大きく違ってしまったような気がしている。
だからその後の家事、育児は自分にとっては随分大変なことだった。
それでも大好きなクラリネットを吹くことを中断する、なんて考えは全く思い浮かばなかったのだから、やっぱりそれなりに体力があったんだろう。
師匠のK先生の扉を叩いたのも、三十代である。

四十代は少しずつ子供の手が離れ、十何年ぶりに『働く』ということを再開した年齢である。
久しぶりの労働は独身時代のそれとは全く性質の違うもので、初めのうちは体力的にキツイこともままあった。慣れない作業で腰や手首を傷めることも何度か経験した。
しかし不思議と重怠い『疲れ』を感じることはあまりなかった。
それまで籠っていた家を出て、『私も社会の一員として、少しでも世の中の役に立っているんだ』と実感できたことが私の気分を明るくし、『疲れ』をある意味『心地良い』と感じるようになっていたのだろう。

久しぶりに自分の力でお金を稼げた、というのも大きい。
夫に後ろめたさを感じることなく、ある程度自由にお金を使えるようになったことも、私の『生きがい』になっていたんだろう。
主婦業には目に見える報酬や所謂『見返り』はない。それはそれで良いのだけれど、私にはどこか世の中に忘れられたような気がする、あまり面白くない、ストレスのたまる仕事だった。
それなりに楽しんでいれば、そうそう『疲れ』もたまらなかったのだろうが、女子力の低い私にとって主婦業は『楽しい』仕事ではなかった。

五十代に突入すると、主婦としての仕事にも『慣れ』が出てくる。何か工夫しよう、なんて気も起きてくるようになった。
凝ったことをしようと思うのではなく、『いかに効率的に済ませるか』『いかに自分が疲れないようにするか』という名目での工夫であるが、これを考えるのは結構楽しい。
『疲れ』が出ることを嘆くのではなく、当たり前に起こりうる条件として、それを極力少なく済むようにと考えるようになった。
『疲れ』る自分をいい意味で諦めたのである。

親の老いと子供の成長で我が家も沢山のお金を必要とするようになり、夫の『つけたし』程度だった私の収入は、家計の中で大きな役割を占めるようになっていった。
こうなると、やりがいとかなんとかは言ってられない。
そういったものは脇に置いて働くことになった。やりがいと一緒に、『疲れ』も忘れられた。
毎日仕事で出会う沢山の人とのやりとりも、私の『疲れ』を減らしてくれた。

こうやって振り返ると、体力的なことはさておき、私の『疲れ』を感じるかどうかは、自分が置かれた状況を楽しめるか否か、に大きく関係していたようだ。
嫌々やっていると、行為そのものにいちいち『意味』を探してしまう。
そうではなくて、ただ自分の置かれた状況を冷静に見つめ、楽しめるようになると、どうやら『疲れ』はぐんと少なくなるようだ。
『○○の為に』(○○は自分も含む)とかいう何かを犠牲にする気持ちが強すぎると、心が持たない。
体力的には一番劣っているんだろうけど、私は五十代の今が一番、『疲れ』ていないような気がしている。