あたためてくれたもの
私は若い頃、営業で取引先を回る仕事をしていた。訪問先には個人や小さな町工場などもあったが、その中に一軒のお肉屋さんがあった。
ここは元々ウチの会社と取引は全くなかったのだが、私の前にこの地区を担当したパートさんがなかなかの剛腕で、何度も通い詰めて取引を取ってきた先だった。
中川家の礼二さんそっくりの社長と、綺麗な奥様が二人で経営しておられた。支店がいくつか近所にあり、作った総菜などを配達する為にアルバイトを一人か二人、いつも雇っていたが、この店ではお二人で全てを取り仕切っておられた。
ここの名物は揚げたてのコロッケだった。
家で作るコロッケのように厚みがなく、かといって薄すぎるわけでもなく、絶妙な食べ応えのこのコロッケは専ら奥様が作っていた。
訪問すると時折、大きな鍋にゆであがった大量のジャガイモが湯気をあげており、奥様が大きなマッシャーで丁寧に潰しながら話をして下さった。フライパンには山のようにひき肉と玉ねぎの炒めたものが積み上がっていて、小柄な奥様がこれをジャガイモの鍋に投入する様子は、思わず手を貸したくなるくらいだった。
衣は不思議なぐらい鮮やかなオレンジ色だった。多分業務用のものなのだろうが、あの派手な色は他ではあまり見かけない。でも不思議と何の抵抗も感じなかった。
お肉屋さんのコロッケにはありがちだが、肉の比率は案外低い。けれどやや甘めのホクホクしたコロッケは、近所でも大人気の商品だった。学校帰りの中高生や、お母さんにお金を握らせてもらった小さな子供などがいつも買いに来ていて、店先はとても賑やかだった。
私が営業で訪れると、
「ホイ、お疲れさん」
と言いながら、奥様か社長のどちらかが白いザラザラした紙にくるんだアツアツのコロッケを、当然のように手渡して下さった。特に寒い冬はこれが物凄く嬉しくて、食い意地の張った私はすっかりあてにして、
「〇時にこの案件を終わらせて、三時にお肉屋さんに行くことにしよう」
などと自分の腹時計に合わせて訪問計画を立てたりしていた。呑気なものだ。
営業と言っても初めの内は自転車での活動が主だったから、冬の間身体はいつも冷え切っていた。でも冷たいお腹に温かいコロッケが入ってくると、じんわりと全身が温まり、元気が出たものだった。
「頑張りよー」
ご馳走様でした、と言って自転車にまたがると、お二人はいつもそう言って手を振って見送って下さった。
心もお腹もエネルギーチャージして、次の取引先に向かうことが出来た。
ある時お邪魔したら社長が、
「在間さんは、この仕事したいと思って就職したんか?」
と突然、不思議そうに訊いてこられたことがあった。
「うーん、どんな仕事かなと興味はあった、という程度ですが。ぶっちゃけ、中途半端な四大卒の女子には金融機関の総合職はなかなか狭き門で、ここしか内定もらえなかった、というのが本当のところです」
と自嘲気味に笑ったら、
「しんどい仕事やなあ。ワシに子供がいたら、多分させとうない。やけど、若いうちにこんなええ経験積んどいたら、あんた嫁に行ってもきっと役に立つで。人生で無駄な経験っちゅうのはないんやさかいなあ」
としみじみした口調で励まして下さった。
「色んな人おるやろ。ええ人も、嫌な人もな。人との出会いは運命や。辛い時もあるやろうけど、若いうちに色んな人に会うておくのはええことやで。人を見る目が養えるさかいな」
奥様もコロッケに一つ一つ衣を付けて並べながら、笑顔でそんな風に仰った。
私はコロッケをほおばりながら、ふむふむと聞いていた。この時は娘に言うような言葉だなあ、と思って有難く聞いているだけだったが、後の人生ではこの時のお二人の言葉を思い出すことが幾度となくあった。
それまでの人生経験から得た、お二人の実感だったのだろう。
あの小さな店は今もあるのだろうか。
もうあれから何十年にもなる。冬になるといつも、社長が手渡してくれたあのコロッケの温かさを思い出す。
お子さんがいなかったお二人。もう多分七十代後半から八十代だろう。お店が誰かに引き継がれて、あの温かいコロッケが今でもあると良いんだけどな、と思っている。