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遅まきの初『あんバター』

どうも最近疲れ気味である。
四十代、五十代と歳を重ねるにつれ、心は元気でも身体がついていかないことが増えてくるように思う。
二週間ほど前に関西を往復し、実家義実家両方の両親に会ってきた。一泊二日で関西三府県を跨いで行き来し、姑のケアマネさんと打ち合わせをし、その足で舅の病院に向かうというかなりの強行軍だった為か、未だに疲れが残っているようだ。
加えて楽団の強化練習、職場での諸問題、は五十代の身体には堪えていると認めざるを得ない。

今日は久々の何もない休暇だった。
こういう日は身体を休ませるに限る。が、今回はそれだけでは気持ちが上がらないような気がした。
そこで手っ取り早く『ああ、幸せ』と思える何かを探して、自分への『おもてなし』をすることにした。
さあ、何にしようか。
ぼんやり考えながらいつもの散歩コースを歩いていると、良い匂いが鼻先に漂ってきた。
駅前にある、焼き立てパン屋さんからである。

このパン屋、どのパンもとても美味しい。が、お値段が恐ろしく高い。
私なんぞは、店に入るのにちょっと勇気を振り絞らないといけないくらいである。
しかし昨今の円安の所為か、最近はどこでも焼き立てパンは安くない。一際良い材料を使ってはいるが、この店だけが飛びぬけて高い訳でもないだろう。
そう思って通りから恐々ガラス張りの店内を覗き込んで値札を盗み見ると、他の店とさほど差はないように思えた。
なによりこの良い匂いに抗えそうもない。
今日の私のおもてなしは、お昼のパンに決定だ。
えいっ、と思い切ってちょっと重いドアを押す。ドアベルがカランカランと乾いた高い音を立てる。おっかなびっくり、久しぶりに店内に入った。
充満している良い匂いを胸いっぱいに吸い込むと、それだけで幸せな気分になった。

この店のイチオシはフォカッチャである。ドライトマトがふんだんに使われていてとても美味しいのだが、私が入った時間は残念ながら、まだ焼き上がっていなかった。
しばらく足が遠のいているうちに、沢山新しい種類のパンが並んでいる。どれにしようか迷っていると、片隅の冷ケースに貼られた小さな手書きのポップに目が留まった。
『あんバター 地元の和菓子屋○○のあんこを使用しています』
とある。

私は甘いもの全般に目がないが、どちらかというと生クリームよりあんこ派である。そしてこしあんより粒あんが良い。
嘗て『あんバター』が大ブームになった頃には、一度食べてみたくてしょうがなかった。でもその頃はまだ関西の片田舎に住んでおり、人気店に行くにはちょっと時間がかかり過ぎた。
似たような商品は巷に溢れていたが、そうじゃないよ、と言いたいような模倣品チックなものばかりだった為、食べてみようとは思えなかった。
一時期の熱狂的なブームは去り、今や『あんバター』はどこでも手に入る定番商品となりつつあるようだ。店によって様々なこだわりがあるようだが、私はもうどこのでも良いから一度食べてみたい、という気になっていた。
目の前に、その永年恋い焦がれた『あんバター』がある。しかもこの美味しい店に、だ。ハズレである訳がない。
これはもう、買うしかない。
久しぶりに顔を見るお姉さんが、にこやかにお会計をしてくれた。

帰りの道すがら、鞄から微かに漂う焼き立てパンの香りに、私はウキウキした。
ほんの二口くらいの大きさで、二百五十円は高いかも知れない。しかし今日はこれくらい良い。たまにはこういうプチプチ贅沢も良いだろう。おもてなし、おもてなし。
普段は時間に追われて、かき込む様に食べているお昼ご飯が、こんなに楽しみなのはいつぶりだろう。

初めての『あんバター』は最高に美味しかった。
あっという間になくなってしまったけど、この濃厚さはこれぐらいのボリューム感の方が良さそうだ。あんまり沢山だと食べきれないだろう。
バターをこんなに厚く切るなんて普通なら考えられない。これをあんこと合わせようと最初に思いついた人は、大胆な発想の出来る人だなあと思う。

それにしても、このバター。コレステロールの量はきっと半端なく多いだろう。
更年期真っ只中の私にとって、『あんバター』はかなり背徳的な食べ物であることに間違いはない。
でも今日は良いことにしよう。食べたい時に食べたいものを自分に食べさせてあげたのだから。頑張ってる私へのプレゼントだ。
こんな日があっても良いよねえ。