初めてのナンパ
学生時代は通学に大阪環状線を毎日利用していた。本当は地下鉄を利用した方が早いのだが、異常な混み方だときいていたので乗るのが嫌だったのである。
私の出身地はめちゃくちゃ田舎で、電車は一時間に4本、各駅停車のみだった。大学まではドアtoドアで片道2時間以上かかったから、朝の一時間目がある時は、冬などはまだ星が出ている時間に電車に乗り、とっぷり暮れてから帰る、という毎日だった。
この電車で天王寺駅まで出て、そこから環状線に乗る。入学当初は人でいっぱいのドアにどうしても飛び込むことが出来ず、何本も見送って遅刻しそうになったこともあった。慣れるとどんなにドアから人があふれていようが、覚悟を決めてエイっと乗っていくことが出来るようになった。
環状線には内回りと外回りがある。内回りは停車駅が多いせいか、乗降客が外回りより多いように思う。ただユニバーサルスタジオジャパンが出来てからは、外回りも多くなった印象がある。
内回りにも、電車のドアが開くなり焼き肉の匂いがする(本当である)鶴橋駅などなかなかディープなところが多いが、外回りの新今宮駅周辺には負けるだろう。
といっても私が学生だったのは今からウン十年前の話である。いまや星野リゾートがホテルを建てるとか建てないとか聞いているぐらいだから、新今宮も全然違う感じになっているのかなあ、と思う。
私は大学二年生の時、かわいいニットワンピースを持っていた。気に入って買ったもののあまり似合う気がしなくて長い間タンスに押し込めていたのだが、ある日着てみたらなかなか身に映るようだとわかり、それからはちょくちょく学校に着て行っていた。
その日はバイトも休みで、まっすぐ家に帰るつもりで大阪駅から環状線の外回りに乗った。昼間の時間だったけど席は全部埋まっており、私はドア近くのバーを持てる位置に立った。
すぐそばの席には所謂『レゲエのおじさん』っぽい人が座っていた。この電車では珍しくない光景だったから、私はさして気にすることもなく立って窓の外の景色に目をやっていた。
ふと、視線を感じて私は電車の中に目を落とした。すると、
「それ、よお似合てますな」
とさっきのレゲエのおじさんが私をひたと見て、話しかけてきたのである。私は例のニットワンピを着ていた。
「あ、はあ」
と言いながらちょっと困っていると、
「大学生ですか」
と重ねて聞いてくる。
「はい」
「何年生?」
「二年生です」
こんなおじさんに話しかけられるのも、会話をするのも初めてである。私は緊張した。
周囲の人はみんなしーんと黙っているが、関心が一斉にこちらに向いているのがわかった。さらし者になった気分である。
「ワシ、今日はさっきまで仕事してきましてん」
おじさんは誇らしそうだった。
「そうなんですか」
「高いビルを建てる現場でしたんや」
「へえ、そうですか。すごいですね」
そういうとおじさんはとても得意そうに、
「そうなんや。わしらがおらな、どんだけでっかい会社でもビルは建てられませんにゃ。わしら、命がけで仕事してますねん」
と胸を張った。なるほど、さもありなん、と私が感心していると、おじさんは、
「ドヤ街(※西成区の日雇い労働者が多く住む街の通称)って行ったことありますか?」
と聞いてきた。
「いえ、ありません」
当然である。第一、用事がない。おじさんはそんな私の内心を知ってか知らずか、滔々と話を続ける。
「朝のドヤ街は活気がありまっせ。あちこちの現場から、車で人集めにきますねん。ええ現場は人気でね、すぐ人いっぱいになる。まあ賑やかでっせ」
私は見たことのないその様子を想像した。大きな声が飛び交い、たくさんのレゲエのおじさん達が車で駆り出されていく…。
時はバブル全盛期。きっと沢山の仕事があっただろう。
「あんた、彼氏は?」
おじさんのいきなりの質問に、私はどぎまぎした。周囲が耳ダンボなのがわかるので恥ずかしい。答えられずに曖昧な笑顔で立っていると、
「仕事せん男はやめときや。苦労するさかいな」
と言っておじさんは笑った。悪い人ではない気がして、私もちょっと笑った。
電車は程なく新今宮に着いた。新今宮は南海電車の乗換駅でもあり、大勢の人が降りる。おじさんも席を立った。
「気いつけて。話してくれておおきに」
おじさんはそう言って手を振り、降りて行った。耳ダンボの乗客達も降りてしまった。車内が急にガランとした。
「ガード堅そう」
私が当時、よく言われた言葉だった。妹はしょっちゅうナンパされていたが、私は全く経験がなかった。
おじさんは私のこと、ガード堅そうと思わなかったのかな。それともニットワンピが好みだったのかな。
未だにちょっと聞いてみたかった気がしている、私の人生初ナンパの思い出である。