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パッカー車の思い出

ご多分に漏れず、ウチの子供も幼い頃は働く車、特にゴミ収集のパッカー車が大好きであった。
よく遊んでいた公園の隣にごみステーションがあり、収集日にはパッカー車がすぐ近くまでやってくる。すると子供は砂遊びセットを放り出して駆け寄り、収集の一部始終を夢中で眺めていた。
あまり近寄るのは危険でもあるし、小さいのがチョロチョロすると収集作業の邪魔になるから、いつも一定の距離を保って見学?していた。

収集作業員の皆さんは、夏でも頑丈そうな靴(安全靴?)にゴムの長い手袋。帽子をキチンと被り、皮膚の露出を極力避けておられるようだった。それだけ危険な作業なのだろうと思っていた。

いつも来られる収集員さんの中に一人、茶髪に薄い色眼鏡のお兄さんがいた。30歳くらいだろうか。
いつも無表情なのだが、収集を終え車に乗り込む際に必ず子供の方を振り返り、手を振ってくれる。但し無表情のままである。
子供は大喜びで手を振り笑顔になるのだが、お兄さんは忙しいのか、振り向きもせず去っていく。
それでも子供は満足そうにパッカー車を見送っていた。
あの無表情と手を振るという行為のギャップが、私にはよくわからなかった。

そんなある日、子供を連れて近所のゲームセンターに行った。
当時は『ムシキング』というカブトムシの対戦ゲーム?が大人気で、同じような子供がいっぱいで、親子で長時間待たされるのが常であった。
その日も凄い列で、この後の買い物を早く済ませたい私はちょっとイライラしていた。
勝ち続ければいくらでもゲームを続けられるシステムだったから、強いプレーヤーが前にいるとなかなか順番がまわって来ない。
子供の前は若い男性で、次々とゲームをクリアし、周りの子供達は羨望の眼差しで彼を見ていた。が、母親である私は、大人なんだから勝つのは当たり前、良い所で切り上げて早く代わってやってくれよ、と思っていた。
私の思いが通じたのか、そんなに経たない内にその若い男性はつと立ち上がった。そして、振り返ってウチの子供に無表情に手を振った。
あっと思った。
あの収集員の、茶髪のお兄さんであった。

長じて子供は中学生の時、職場体験でゴミ収集をした。
毎日朝早くから午後3時頃まで、重いゴミをパッカー車に投げ込む作業はかなりキツかったようで、帰宅するなりグッタリし、夕飯と風呂を済ませるとグウグウ寝ていた。
通学に使っていた靴は作業でドロドロになり、捨てようかと思うくらい酷かった。
木の枝や竹串、注射針などの危険なゴミに気をつける事。ブヨブヨしたゴミは吐瀉物の可能性が高いから、安易にパッカー車に放り込まないで収集員に知らせる事。シュレッダーのゴミは周囲に散るので、気をつける事。異常に重いゴミは、犯罪の可能性があるから必ず開けて中を確認するので、これも収集員に知らせる事。
収集員の皆さんは、夜の9時頃には就寝してしまうという事。
心ない言葉をかける人がいるという事。
子供から聞く話はどれもリアルで、現場の厳しさを垣間見た気がした。

「今日は小さい子が手を振ってくれた」と言って帰ってきた時には、笑ってしまった。
また、キツイ現場の後には収集員の方は必ずコンビニに立ち寄り、ジュースをご馳走して下さったそうだ。
忙しいのに丁寧な気遣いをして下さるものだと、とても有り難く思った。

今でもゴミ収集のパッカー車を見る度に、あの茶髪の無表情なお兄さんを思い出す。

こんなわけで私は、収集員の方々を日々感謝の思いで見ている。