筋肉痛と筋肉疲労
夫は最近、筋トレに余念がない。
「山登りで脚の筋肉は鍛えているけれど、オレの上半身はまるでジジイや。こんなに細くてはどうしようもない。なんとか上半身も鍛えて、もっと筋肉質な身体を作るんや」
と鼻息が荒い。
しかし私は至って冷静な目で、そんな夫を眺めているだけだ。批判もしない代わりに、応援もしない。
何故か。
夫の『筋トレするぞ宣言』はこれが初めてではないから、である。
関西に居る時、綱を使って登る山に行った後に、腕の筋肉痛に見舞われた夫は甚くショックを受け、
「若い時はこんなことなかったのに。これはイカン。上半身も鍛えよう」
と分かり易く一念発起して、本格的なダンベルを購入した。
このダンベルが家に届いた時、家には私しか居なかった。そもそもそんなバカげたシロモノを本気で購入するなんて全く思っていなかったので、何が届いたのか分からない私は、ヤ〇ト運輸のお兄さんから直接段ボールを受け取ろうとした。
するとお兄さんは真顔で、
「いや、奥さん。これは無理だと思います。玄関まで入れますね」
と言って、軽々と玄関まで件の段ボールを運び入れてくれた。
あんまりお兄さんが軽そうに運んでくれたものだから、お兄さんはああ言ったけれど運べるかも、と考えて、何の気なしに段ボールに手をかけて驚いた。
重すぎる。ちょっとやそっとでは持ち上げられない。
しょうがないので、夫が帰宅するまで玄関に放置することになってしまった。
そんないわく付き?のダンベルは、ほんの少しの間、飽きっぽい夫の筋トレに使われた後は、ドアストッパーになったり、文鎮代わりにされたりして、全然本来の役割を担ってこなかった。
引越しの時、私は
「なあ、これ売るか捨てるかしようよ。殆ど使ってないんやから」
と真剣に提案したのだが、夫は
「何言うねん。オレはまたこれで筋トレするんや。絶対にそんなことさせへんぞ」
とムキになるので、はいはい、もう好きにしろ、これで頭を殴られないだけ有難いと思え、今度こそほとぼり冷めたら捨てたんねん、と心の中で毒を思いっきり吐きつつ、台所用品の箱の中になんとかして納め、ダンベルは無事に引越しの荷物として運ばれ、今の家にやってきた。
今の住まいはちょっと行けば山に行けた以前と違い、かなり遠距離を運転しなければならず、億劫がった夫は関西に居た時ほどは山に行かなくなってしまった。
すると必然的に筋トレの必要性も忘れ去られていき、ダンベルは押し入れの奥深くにしまわれて、私にこっそり処分される日を静かに待っていたのだった。
こっちに来てから、夫はジョギングに精を出すようになった。汗をかくのが気持ち良い、と言って喜んで走っている。
走るのは勿論、まだ明るいうちだ。帰ってくるといの一番に裸になって、シャワーを浴びる為に風呂場に直行する。
我が家の風呂には大きな姿見がある。夜ならそんなに気にならないのだろうが、世の中が全て昼の光で満たされている時に、鏡に映る自分の姿を見るのは誰だってこっぱずかしいものだ。
夫はこの時、自分の上半身の情けなさに言葉を失ったらしい。
それで冒頭の言葉が出たわけである。
本気でトレーニングするなら、ちゃんと時間を決めてやるのだろうが、気まぐれな思い付きの筋トレだから、夫は自分の視界にダンベルが入ってくると
「そうやそうや、筋トレや」
と言うとやおらシャツを脱ぎ捨てて、仁王立ちになると、ダンベルを交互に上下させ始める。
足の上に落としたらうるさいからやめてやー、と思いつつチラチラ見ていると、
「ウンウン、やっぱり鍛えると調子ええなあ」
などと言うわりには、早々にダンベルを置く。
やらないよりはマシなんだろうけど、それって筋トレなのか?とかなり疑問に思うが、何も言わない。
本当はしんどいに違いない。
暫く経つと、
「腕がダルイ。なかなか上がらへん」
と言って、しんどそうにしている。言わんこっちゃない。同情するのもバカバカしくなる。
「年寄りの冷や水って、よう言うたな。アンタ、ちゃんと計画的に鍛えへんさかい、筋肉痛起こしてんのやんか。なにやってんねん」
私はここぞとばかりに口撃する。
しかし、そこは天邪鬼な夫である。黙ってやられっぱなしにはならない。
「違う。これは筋肉痛やない。筋肉疲労や」
お得意の屁理屈をこねだす。
「どう違うねん」
「筋肉痛は筋肉を使ったことない人の痛みや。筋肉疲労は鍛えてる人にしか
起こらへん。オレは鍛えてる。一緒にせんといてくれ」
へええ。そんな珍妙な説、初耳だすわ。
もう相手にするだけ、時間の無駄だ。
早々に退散することにする。
今日の風呂上りも、夫はせっせとダンベルを上下させていた。
明日の朝も『筋肉疲労』かしらねえ。
たいがいにしときなさいよ!