風邪の功名
夫の持ち帰った風邪のウイルスに当たり前のようにやられてしまい、木曜日の午後に発熱した。といっても微熱程度で、喉も痛くない。ただ脳味噌が全部溶け出したかと思うような勢いで鼻水が出るので、職場にはティッシュを箱ごとと自分用のゴミ袋、替えのマスクを持参した。花粉症と一緒くたになって、最早なんの鼻水だかわからない。
幸い熱は一日で下がり、今はちょっと鼻をグスグスいわせている程度で済んでいる。急に暑いのは参るが、気温が高いのも早く治った理由だろうか。だとしたら有難い。
発熱した日は寒気とだるさで食事を摂る気力も湧かず、仕事から帰ると夫のご飯だけをなんとか用意して、早々に寝床に入ってしまった。
「うつしたなあ~すまんなあ~」
と帰宅してたいしてすまなさそうに言う夫に、ウトウトしながら曖昧な返事をするのが精一杯だった。
翌日はなんとか出勤し、やっぱり鼻をかみまくってYさんに呆れられつつも、午前中は春の嵐のせいでヒマだったから、どうにか乗り切れた。
が、土曜日の楽団の夜の練習は行く気になれず、休むことにした。どうせ体調の悪い時に練習しても逆効果だから、こういう時は休むに限る。
気力は体調とリンクする。
定期演奏会が終了するタイミングと仕事の忙しい時期がもろ被りし、身体が疲れ切っていた。普通なら演奏会終了後に身体と心を緩める時間があるのだが、それがなかなか出来なかった。
自分では極めていつも通りの、平常運転をしているつもりでも、やっぱり通常と違うことがあると心も身体も緊張状態になるらしい。どうもこういうあたり、私は自分の本当の声を聞くのが未だに苦手である。相変わらず、ついうっかりと自分のことに無頓着になってしまうようだ。
何かに追われるように、ああこれもやっとかないと、あれもいついつまでに、なんて自分で自分を追い込んで、一人勝手に苦しくなっていた。
何かを成し遂げようと思えば、ある程度は自分を追い込む必要も出てくるし、仕事によっては期限を切られることもある。それを守るのは当たり前なのだが、それ以前に
『今、私の心と身体は大丈夫か?』
と自問する時間を設けるのを、すっかり失念していたらしい。
悪い癖が、しぶとく私の中に残り続けているようだ。
風邪を引いて布団にくるまっていると、ああ、私疲れてたんや、という諦めたような感覚が、熱でボンヤリした頭に浮かんだ。
一旦自分のエンジンのスイッチを強制的に切らされると、こんな風に当たり前の『今の自分の状態』が静かに見えてくる。思わず緩んだ苦笑いをしてしまった。
そして知らず知らずの間に『無自覚の自分イジメ』をしていた自分に思い至った。そう言えばここのところ、精神的にも肉体的にも、無理ばっかりしてたみたいだ、と素直に思えた。
するとその晩は深い眠りを貪ることが出来た。
身体と心が疲れてくると気持ちに余裕がなくなって、勝手に孤独に陥ってしまったり、人の気持ちを邪推してしまったりしがちだ。そういうのは益々自分の心と体を疲弊させる。負のループに陥ってしまう。
いかんいかん、と頬を両手で挟んでバチバチ叩き、背筋を伸ばす。
風邪を引いたのは嬉しくはないが、神様が『あんた、ちいとここらでブレーキかけて休みなさい』と引き留めてくれたのかも知れないと思う。
風邪の功名であろうか。
風邪にもちゃんとなるべくしてなっているんだなあ、と思う。
風邪は、見えていない自分から私へのお知らせ、メッセージなのだ。
まだ身体は少しだるいが、毎朝目覚める度に少しずつ、スッキリ感が増していくのが身を以て分かる。
回復を感じるこの瞬間は本当に嬉しく有難い。健康ってなんて幸せなことなんだろう、としみじみ思う。
これも風邪になったから実感できること。
鼻をすすりながら、まだ時折『自分がお留守』になる私への天からの警告に、心から感謝している。