とんだ捕物
その日私はいつものように、開店から十時まで独りでの勤務だった。掃除をしながら接客とレジ打ちをする。平日だったから朝の客足はまばらで、鏡を拭き終えると私はのんびりとレジ回りの掃除をしていた。
しばらくすると、三十代くらいの女性が息せききって私のレジにやってきた。
「ちょっと!店員さん!大変よ!早く早く!」
何事だろうと思った。暑い日は店に入るなり倒れてしまわれるお客様もいらっしゃる。救急搬送も週に一度や二度では済まないくらいある。それかな、と思いつつ急ぎ足でお客様についていくと、お客様はアクセサリー売場でピタリと足を止めて声をひそめた。
「あの人、さっき商品の値札ちぎってたの。私見ちゃったのよ!」
お客様の視線の先に目をやると、七十代くらいの男性が、何食わぬ顔でショルダーバッグを手にしている。うちの商品に間違いない。
「私、値札拾ったのよ。ほら、これ」
お客様の差し出した値札は確かに、男性の持っているバッグのものだった。クロだ。
バックヤードに連れて行かれる犯人は見たことがあるが、実行中の人にでくわすのは初めてである。
さあ、どうしようか。
取り敢えず、声を殺してインカムで警備員を呼ぶ。
「警備さん!至急来て下さい!」
この時、私はかなりパニックになっていて、自分の部署名を名乗るのを忘れていた。
「どこ行けばよろしいんですかあ?」
警備さんののんびりした応答にハッと我にかえる。その間にも男性は軽い足取りで化粧品売場の方に向かって歩きだした。かなり早い。気持ちが焦る。
「私、追いかけとくから、早く誰かに来てもらって!」
さっきのお客様が追尾を始める。しかし危険なので、大丈夫です、と言って制して私が追いかける。警備さんにちゃんと部署名を告げようとインカムの通話ボタンを押すより早く、私の声の様子にピンと来たのか、二階の衣料品のKさんが
「警備さん!靴服です!急行して下さい!」
と言うのがインカムに入った。
「了解です」
相変わらず警備さんの声はのんびりしている。こんなことは日常茶飯事で、ビビるような問題ではないのだろう。でも来てくれるのは有難い。今、私は売場に一人きりなのだ。
私の声がよほど切羽詰まっていたのか、二階からKさん、事務所にいたH副店長も降りてきた。警備員も到着した。
「どの人?」
「あれです」
顎で示す。気づかれた事を悟ったのか、男性の挙動が更におかしくなる。猛烈な早足で食品売場に行こうとするのを、Kさんが大きな声で呼び止めた。
「お客様!その商品のお会計は食品レジではできませんよ。こちらでお願いします」
男性は聞こえないふりをして逃げようとする。それをKさんが追う。H副店長が続く。警備さんが続く。私も追う。なぜか最初に通報して下さったお客様も追う。カルガモの親子のようである。
都合五人を引き連れて、男性は逃げる。が、Kさんの再三の声かけに観念したのか、漸く靴服のレジにやってきた。
「今日はカード忘れちゃってね」
男性は白々しく鞄を差し出す。鞄はなぜかパンパンに膨れ上がっている。ファスナーを開けると出るわ出るわ。ハンカチ、靴下、財布、化粧品。全て会計の済んでいない商品である。
「お客様、こういう事なさると他のお客様にご迷惑なんですよ。おやめくださいね!」
Kさんが額に青筋を立てて言う。ハンカチはくしゃくしゃになっている。男性はハイハイ、と素知らぬ顔をして
「もらうのはこれだけでいい」
といってハンカチを一枚差し出した。
「他は取り止めでよろしいですね?」
「ええ」
そういうと、くしゃくしゃの札を一枚出して支払いを済ませ、男性は逃げるようにレジをあとにした。
「しばらく追尾しますんで」
警備さんは帽子の鍔に手を掛けてH副店長とKさんに言うと、男性の後を追い始めた。
「びっくりしたね!」
H副店長が笑いながら言った。この時になって初めて、最初に通報して下さったお客様がいなくなっている事に気づいた。ちゃんとお礼も言わずじまいだった。
「我々の仕事は捕まえることじゃないから。警備さんに任せたから、もう大丈夫だよ。呼んでくれて良かった」
Kさんも笑いながら言う。
その時、
「おはようございます~何かあったあ?」
とDさんがのんびりと出勤してきた。
「Dさん!きいてください~」
と半泣きになって事情を説明する。ふんふん、と聞いていたDさんは
「そっか、お疲れさん。大変だったね。でもみんな来てくれて、未遂で済んで良かった。ありがと、ありがと」
と労ってくれた。
この日の来客は少なかったが、いつもの倍疲れてしまった。
大勢の方々に助けて頂いて何とかなったけれど、こんな捕物はもうコリゴリである。