木の芽立ちにはちと早い
春を思わせるような温かい日が続くと、ウチの店では毎年、ある困った現象が増えるようになる。
万引きだ。
寒い間は万引き犯もわざわざ盗みに行こうとする気が失せるのか、繁忙日以外はそんなに多くない。しかしちょっと気温が上がってくると、もういけない。まるで温かくなると地面に這い出して来る虫けらのようである。
先日など、四時間の間になんと三件。警備員の方々は追尾と捕獲?に、警察への連絡に、大わらわの様子であった。
警察の方々はいつも慣れた感じでやってくるが、一日に三回も同じ店に立ち寄るなんてことはあまりないだろう。
一人目は朝、割合早い時間だった。
三階にある家電コーナーのレジ係Fさんの、緊張した声がインカムに飛び込んできた。
「警備さん、例の男性が今、家電売り場に来ています。追尾お願いします!現在、家電担当のYさんが追尾しています」
『例の男性』というのは、数日前に未遂で捕まった年配の男性である。ハッキリと顔の映った防犯カメラの写真が、従業員控室や事務所、通路などの至る所に貼ってあるので、みんな彼を知っている。
本人が罪を認めて謝罪した為釈放したらしいが、うわべだけに過ぎなかったようだ。常習者あるあるである。
「了解、すぐに向かいます」
警備さんが到着して間もなく、やはり万引き行為があったようで、暫くして
「警備です。副店長、警備室までお願いします」
という重々しい声のインカムが入った。
ああ、とうとう捕まったか。今度は許してもらえまい。バカなことをしたものだ、とため息をつく。
二人目は昼頃だった。
同じく三階のレジ係であるTさんの、上ずった声が聞こえてきた。
「警備さん、あの、あの、万引きのお客様来られてます!」
思わずDさんと顔を見合わせて吹き出した。
「万引きしてる段階で、『お客様』じゃないよね。Tさん、テンパってんのかな」
「確かに」
後から聞くと、常習者の一人だったそうだ。『あの写真の万引き犯だ』と気付いたは良いが、とっさにどう伝えて良いか分からなかったのだろう。
一応店内ルールでは、万引きは『〇番』という隠語で表すことに決まっている。しかし普段使いつけない言葉なので、咄嗟に思い出せないこともある。Tさんもきっと慌てたのに違いない。
同じ経験をした者としては、Tさんの焦る気持ちは凄くよく分かる。
逃げてしまわれては困る。かといって、いつ他のお客様がくるか分からないから、レジを出て追尾することも出来ない。気付かれたら何をされるか分からないという怖さもある。
誰か早く来てくれえ!という、居ても立っても居られない気分になる。
応援が来るまでの、落ち着かなさと恐怖と不安に曝される数分間ほど、気持ちの悪い時間はない。出来るだけ味わいたくないものである。
三件目は食品売り場だった。
「えー、例の車椅子の男性、食肉冷ケース前にて物色中の模様。警備さん、追尾願います」
落ち着いた声でインカムを入れたのは、K副店長である。
それにしても車椅子とは!彼も常習らしい。まあ追尾はしやすいかも知れないが・・・。
どうやって万引き行為に及ぶのかと思って、食品のベテラン社員Gさんに会った時に訊いてみると、
「こーやって、ひざ掛けをめくる。おもむろに商品を膝に乗せる。そーっとひざ掛けをかける。レジの横の売場の通路からすーっと出ていく。いつものパターンだけど、この前ドライ担当のKちゃんが見つけたの。追尾して警備さんが色々訊いたんだけど、シラを切られてね。その後全員で共有してたんよ」
と動作付きで解説?してくれた。
へええ~とひたすら驚くことになった。
温かくなると彼らも文字通り、『食指が動く』のだろうか。
「木の芽立ちは変な人が多いから、気を付けなさい」
子供の頃、温かくなってくると、母にこう注意されたことを思い出す。
何を思ってやるのか、彼らの内心は分かりたくもないが、こんな春の風物詩ばかりは御免である。