タレ様々
夫が在宅勤務の時は、前日の夕飯に肉じゃがやカレー等を少し多めに作っておくようにして、翌日の昼食作りの手間を省いている。わざわざ作らなくて良いだけでなく、これらのメニューは一日おくとなぜか作りたてより美味しくなるから、一石二鳥である。
だが前日の夕飯が鍋物とか刺身等、翌日に置いておけない料理だとこうはいかない。夫の翌日の昼食メニューに頭を悩ませることになる。
安くて栄養的にも問題がなく、メニューも豊富な社員食堂の有り難さをひしひしと感じる。
在宅勤務の日が予めわかっていれば良いのだが、帰宅した夫からいきなり「明日在宅」と告げられることも多く、そうそう都合良く事は運ばない。
冷蔵庫にある残り物でパパッと作れて、栄養的にも問題がなく後片付けも楽なので、我が家では『野菜炒め』がこういう時の昼食メニューに度々登場する。
材料は冷蔵庫にその時あるもの。豚こま切れ肉(大抵ある)の残り等と中途半端に残った野菜を短時間で炒め合わせるだけだ。
この時私は味付けに「焼き肉のタレ」を使うことが多い。
或いは、やはりこま切れ肉と白菜や玉ねぎ等を「すき焼きのタレ」を使って煮ることもある。冬は煮物が手軽に作れてとても便利だ。朝作ると、昼頃には味がしみて美味しくなっているのも丁度良い。
我が家ですき焼きを作るのは子供が帰省した時くらいだから、タレは結構残ってしまう。なので使いきるのにも都合が良い。
実家の母は、「○○のタレ」「○○つゆ」というものを嫌い、全く使わない人だった。「保存料等が沢山入っていて身体に悪い」「味付けが濃くてこういうものを食べていると味覚が鈍る」「サボりの主婦が使うもの」というのがその理由である。
若い頃は母の信条を疑いもなく信じ、私も一切こういうものを使わなかった。そうめんのつけつゆにめんつゆを使う事にすら、かなり強い罪悪感を覚えていたのである。
今思えば私は「自分はサボりの主婦なんかじゃない」と言いたかっただけのかもなあ、と思う。保存料がどうだとか身体にどうだとか、そんなことはきっと後付けの理由で、「自分はキチンと料理しております」と自分を見てもいない世間というものに向かって、一生懸命虚勢をはっていただけだったのだろう。もしかしたら母もそうだったのかも知れない。
変なこだわりを持たずにとっとと使っていればもっと子育て中の食事作りも楽だったろうし、子供にももっと精神的に余裕をもって接することができたろう、思うと残念な気がするが、今となってはしょうがない。
夫の昼食作りにイライラせずに済むようになった事は、大変悦ばしい。今気づけただけめっけもんだと思っている。
しかしそれにしても昨今のタレの美味しさは凄い。色んな味が出ているし、どれも凝っている。メーカーがどうやったら消費者に買ってもらえるか、必死で日夜研究に励んでいるのだから、料理嫌いの一主婦が、つまらない意地をはってため息をつきながらああでもないこうでもない、とテコテコ作るものより格段に美味しくて当たり前である。
めんつゆだって、隠し味に使ったりするとぐんと美味しくなる。マヨネーズとすりごまに加えて茹でたゴボウや人参と和えれば、ヘルシーなサラダができる。この取り合わせはけっこう定番らしく、色々なレシピで見かけたので覚えてしまった。今や我が家の定番でもある。
夫も「美味しい」と喜んでいる。私も手早くできて助かる。残り物を上手に活用できる。片付けも楽だ。「タレ」を使うと良いことづくめである。
食事で最も大事なのは「みんなが美味しく楽しく食べられること」ではなかろうか。誰かが体力や自分の時間を「犠牲にしている」という思いをもって作るより、作った人も笑顔で食卓を囲めるなら多少の保存料も手抜きも良いのではないか、と思う。
手間をかけることが良い場合も楽しい場合も、勿論ある。だが先ずは自分が笑顔でいられることを優先したいものだと思っている。
これからも私は「○○のタレ」にお世話になるつもりでいる。