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趣味と実益

先日、歯の定期検診に行った時のことである。
いつもの衛生士さんがお休みで、その日は先生ご自身が検診のついでにクリーニングまでして下さった。
私の歯は一番奥の親知らずまで、一本をのぞいてしっかり生えている。だが一番奥というのは磨くのにかなり大変な場所で、磨き残しし易い。そこで私は先生に勧められて、小さな細い毛束の付いた歯科医院専用の歯ブラシをこの奥歯に使っている。なかなか快適で、奥までしっかり磨けて良い。
先生からはいつものように顎関節症の症状がある、と指摘される。痛みは出ないか、と訊かれるが、今のところないので大丈夫です、と答えておく。

さて、件の奥歯の歯石を取ってもらうことになったのだが、先生が悪戦苦闘している。いつもの衛生士さんも
「一番奥っていうのは、磨きにくいんですよね。だから歯石もたまりやすいんですけど、取りにくいんです。頑張って取りますね」
と大汗をかいて取って下さるのだが、先生は慣れていないのか、衛生士さんより手こずっているように思える。
「在間さん、ちょっと口閉じ気味にしてもらえます?」
「やっぱりちょっと開け気味にしてもらえます?」
「ゆるく開けてもらえます?」
先生のリクエストがある度に、口を色々開け閉めする。いつもはこんなことしない。やがて先生がうーん、と唸った。そして、
「在間さんねえ、頬の筋肉の弾力が物凄くて、普通の人よりぐんと強いんですよ!ほっぺを器具で引っ張っても開きにくくて、余計奥歯がやりづらいんです。どうしてなんですかねえ?」
と言って私を覗き込んだ。

思い浮かぶ原因は一つしかない。
「先生、私管楽器吹いてます」
先生の声が我が意を得たり、とばかりにワントーン高くなった。
「それだ!わかった!顎関節症もそれが原因ですね!ああ、一度に二つの疑問が解けた!」
うがいしながら満足げな先生を見て、今まで黙っててすいません、と心の中で謝る。
「この前、中学生の女の子が『痛くて口が開きません』って駆け込んできて。訊いたらクラリネットやってるって言ってました。暫く部活休むように言いましたが、管楽器ってそうなるんですね。ちょくちょく聞きます」
と何度も頷いておられた。
「中学生の場合、初心者だから無理して強く咥えるので、短期間で症状が強く出てしまったんでしょうかね。プロでも聞きますよ。弦楽器の方でもあるそうです」
私が解説すると、
「そうでしたか。職業病ってやつですねえ」
先生はしきりに感心しておられた。

実はプロの管楽器奏者は、自分のかかりつけ歯科医を必ずもっていて、どんな遠くからでもそこへ通うと聞く。師匠のK先生の場合は、なんと北海道から関西まで定期的に通っておられた。自分はその歯科医でないとダメなのだ、歯がダメになってしまうと、おまんまの食い上げですからね、と先生は仰っていた。
師匠が言うには、楽器演奏のことと歯のこと双方に精通しており、腕が良く、口腔外科と両方できる歯科医というのはそうそう居ないそうだ。私のかかりつけ歯科医は多分、楽器のことには詳しくないのだろう。そちらの方が多数派だから、先生の反応は別におかしくないと思う。

それにしても「頬の筋肉の弾力が普通じゃない」なんて、言われたのは初めてである。今までお世話になった歯医者さんにも、「お口が小さくてなかなか診づらいですねえ」とはよく言われたが、楽器を吹いているせいでこんな事を言われようとは、思ってもみなかった。
昔、非常階段という漫才コンビがあった。その一人、シルクさんの方だったと思うのだが、ほうれい線を目立たせなくするためにトロンボーンを吹いて頬の筋肉を鍛えている、という話をされていたのをどこかで聞いたことがある。今も続けておられるかどうかは知らないが、とても理にかなった美容法だったことになる。

鏡に映る私は年齢相応のおばちゃんの顔をしているが、そう言われてみればほうれい線はそんなに深くない?かもしれない。一緒に吹いている仲間にも、口元の筋肉が酷く下がっている人は見かけないようだ。
趣味が美容にも役立っていたなんて、嬉しい驚きである。これは益々やめられない?



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在間 ミツル
山崎豊子さんが目標です。資料の購入や、取材の為の移動費に使わせて頂きます。