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ネジネジ星人は君だ

我が家のドライヤーのコードは、油断するとすぐにネジネジになってしまう。尋常なねじれ方ではないので、元に戻すのにちょっと骨が折れる。
原因は多分、コードがどういう状態にあるかということを全く気にせず、手にしたプラグをなんとなくそのままコンセントに突っ込み、使用後もそのままの状態で元に戻す、という行動を繰り返していることにあると思う。
つまりねじった上にさらにねじっていくので、気が付いた時にはとんでもないことになっているのである。
ウチの実家の父はこういう状態が嫌いで、少しでもコードがねじれているのを発見すると、すぐさま親指と人差し指に挟んで丁寧に真直ぐに戻していた。
私や妹がねじった状態で放置しているのを発見すると、『自堕落なことをするな』と怒られるのが常だった。
お陰で私は、怒られる前にしっかりとコードをまっすぐ元通りにしてから、ドライヤーをしまうのが習慣になっていた。

だから普通は、家人の誰か気の付いた人が、そういう風にコードを元の状態に戻すものなんだ、と思い込んでいた。
父はこういうことにマメ過ぎるくらいマメな人なので、同じようにはしないにしても、夫婦二人がいればどちらかが気付いて、どちらかが治すようになるのが普通だろう。それが家庭を円満に保つ為に存在している、暗黙の小さなルールみたいなものだと思う。
しかし我が家の場合、そうは問屋が卸さない。
相手はネジネジ星人の我が夫である。

自分のものすらもロクに片付けられない人が、自分専用ではないものを綺麗に片付けられる訳がない。
私はと言えば、仕事に行く朝はとても急いでいるから、コードをゆっくり直している時間などない。夜は夜で、夫は私よりずっと後、私が二階の自室に引き取ってからドライヤーを使うので、コードはねじれていたとしてもそのまま放置される。
翌朝、夫がワシャワシャと急いで荒っぽく使い、次に私が大急ぎで使う。次の休暇に私がハッと気づけば、コードは既にねじれにねじれている・・・という繰り返しなのである。

コードがねじれていても、通電には問題はない。だがあまりにもねじれていると、丈が短くなってしまう。するといざ使う時に、こちらが欲しい肝心のところまで届かず、ウンウン言って引っ張る羽目になる。
引っ張っても限界がある。その時に治せば良いが、生憎急いでいて治す時間はない。不便な思いをしつつ、ブツクサ言いながらコードと虚しく格闘することになってしまう。

なぜこんなにねじってもこの人は一向に平気なんだろう、と不思議に思っていたのだが、最近ふと、ずっと以前私の荷入れの時に見た、姑のクルクルドライヤーを思い出した。
そのコードはやはり、今のうちのドライヤーのコードと同じくらい、いやもっと酷くねじれていたのである。
姑は自分の荷物を入れた鞄を開けたまま、奥の部屋に放置していたのだが、運の悪いことにウチの父がたまたまそれを発見した。あまりにひどいねじれようを見かねて、父ははみ出していたドライヤーのコードのねじれを丁寧に治し、そっと元通りに鞄の上に置いた。
しかし部屋に戻って来た姑は何も気づく風もなく、それを鞄にしまった。後から何も言ってこなかったので、多分ねじれが治っていることにも気付いていない、と思われた。
ひょっとしたらねじれていることにすら、意識は向いていなかったのかも知れない。
父と二人、目交ぜをしてこっそり笑った記憶がある。

だから夫のネジネジ星人ぶりは遺伝であると思われる。きっとねじっているという意識もないに違いない。
そうなると、たった一人の『気付く人』である私が治すしかない。
治しておいても、夫がそれに気付いている様子は全くない。それが証拠に、折角私が時間をかけて真直ぐにしたコードが、夫が出かけた後にはしっかりとねじれている。
この件に関して、特に夫を問い詰めたことも、小言を言ったこともないけれど、いつかは自分がねじっているということに気付いて欲しい。そして叶うなら、いつの日かコードを自らの手で真直ぐに治して欲しい。
ささやか過ぎる、私の願いである。





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在間 ミツル
山崎豊子さんが目標です。資料の購入や、取材の為の移動費に使わせて頂きます。