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『本能』?

関西に住んでいた頃の話である。
どんな下衆な輩が言い出したのか知らないが、私がよく利用していたある路線の電車に乗ってくる女子高生のスカート丈が、全国でもトップクラスの短さだ、なんていう噂が真しやかに流れたことがあった。
ところがこの噂を信じた一部の愚か者達が、遠路はるばるこの電車に乗りにわざわざやってきて、実際に愚かしいに及ぶ、という笑えない事態が発生した。
捕まった人の住所をニュースで耳にして、『なんでそんな遠いところの人が?出張のついで?』と首をひねっていたのだが、そういうことだったらしい、と聞いた時は呆れてしまった。

話を聞いた時、夫と息子に尋ねてみた。
「やっぱりスカート丈短いのを見ると、そういう気分になる?」
この歳になっても男性生理にとことん疎い私には、そこのところが不可解でしょうがなかったのである。
二人は異口同音に、
「そらな、男っちゅうのはそういう風に出来たある生き物や」
と言って、否定しなかった。但しこう付け加えた。
「ただ、そこで行動に移すかどうか、は理性の問題や。殆どの人間はそこで抑えることが出来る。そうしようと努力する。何かの理由でブレーキかけられへん人間がそういうことをする訳であって、目線が向くのは誰でも同じやと思う。本能や」
その言葉には「どうしようもないねん」という、潔すぎる諦めがあった。
そんなものなのだろうか、と我が身内の発言に少なからずショックを受けた。
因みに同じ問いを八十を超えた我が父にしてみたところ、
「小便臭いようなガキンチョのパンツなんか、見とうないわ」
とけんもほろろだった。が、それが年齢の所為なのか、或いは父の理性の発露なのか、真偽は不明である。

確かに、私もあの電車内で、かなり短いスカート丈の女子高生を何度か見かけたことはある。
その時私が感じた気持ちは、
・冷えるんじゃないか
・見えるんじゃないか
・変なちょっかいだされるんじゃないか
という、どちらかと言えば娘に対するお母さんのようなハラハラした、お節介な気持ちと、
・見苦しい
・何したいの?
・頭悪そう・・・
という、極めて差別的で、自分の思う『女子高生とはかくあるべき』像からはみ出た彼女達に対する苛立ちの混ざった、複雑なものだった。

こういう時、『堂々と生の脚を衆人環視の下に晒せる』ということに対する、女性としての羨望と嫉妬なんて、自分の中にこれっぽっちもない、ときっぱり言い切ることの出来る人なんて、どのくらい居るんだろう。
私なんぞは、やりたいとは思っていなくても、『ちょっとあれ短くない?』と眉をひそめられ、男達の本能丸出しの視線を集めてしまう彼女達を、ちょっと眩しくも思ってしまう。
後ろ指を指されることすら、『勲章』のように感じる。それは十分『理性で制御出来る』が、絶対に心の奥底にある、否定出来ない感覚だ。
これまた女の『本能』なのかも知れないと思う。単に私が変なだけだろうか。

若い頃、そういう服を着ようものなら、母から
「物欲しげで下品」
とか
「近所に恥ずかしい」
「女の方から隙を作ってはいけない」
などと、散々言われたものだった。
当時はただ『うるさいなあ』とムカついていただけだったが、今は当時の母の胸中を察することが出来る。
きっと母も、今の私と似たような気持ちを抱いていたのだろう。

最近の暑さの所為で、大胆に肌を露出したファッションの若い女の子を見かける機会が増えた。
彼女達の出で立ちは、目に涼しい。そして通りすがりの男性達は、十人中九人までが、一様にそういう視線を投げる。やっぱり男の本能なんだなあ、とあらためて納得している。
そして私はと言えば、やっぱり電車で短いスカート丈の女子高生を見た時と、同じような気持ちになってしまう。
これも女の『本能』なのか、はたまた一向に成長しない私の現状なのか。