常に神対応な人々
「もう、あのお客さんなんなの?腹が立っちゃって」
「わかる~何様よねえ」
「ひっどいよねえ」
仕事を終えた後の更衣室では、こんな会話がしょっちゅう聞かれる。愚痴大会に参加こそしないが、どこのレジも大変だよなあ、と思いつつ、聞くとはなしに聞いている。
腹を立ててもしょうがないとは言うものの、どうしてもつい同僚に二言三言、こぼしたくなってしまうのだろう。気持ちは分からないでもない。
しかし我が店には一箇所だけ、こういった愚痴をほぼこぼさない、まばゆい人の集団が存在する。サービスカウンター、略称SCの方々である。
ここには実に色んなお客様がやって来る。正に千客万来という言葉がピッタリの場所である。
商品やサービスに対する苦情も、皆先ずここにやって来る。忘れ物の預かり所にもなっている。食品の配送はここで手続きすることになっている。銘品の取り扱いもここだし、熨斗掛けはここでしかやっていない。
駐車場の無料サービスの刻印もここで出来る。タバコの販売もする。母の日や父の日ギフトの手配、クリスマスケーキ、お節料理、オードブルなどの申し込みと受け渡しもここが請け負う。
店内放送で人を呼び出す。食品のレジが混んでくれば、レジ応援要請のアナウンスを流す。ガチャガチャ用の両替をする。詰まったら鍵をもって開けに走る。急病人が出れば、救急車を呼ぶ・・・
まだまだある。多分、全部の仕事を書いていたら、記事二回分は優に超えると思う。
この目の回るような忙しさの中に身を置いているにもかかわらず、彼女達は皆、物凄く人間が出来ている。ウチのMさんが、
「毎日理不尽なことに出くわし過ぎて、悟りを開いたんじゃないか」
と真顔で言うくらい、優しくて落ち着いた良い感じの方ばかりである。
日々あまりにも様々なケースに遭遇しておられるので、店内の生き字引的な存在でもある。
つまりお客様にも頼られ、我々従業員にも当てにされている訳だ。
かくいう私も何度か助けてもらったことがある。
いつだったか、お客様がお買い上げの肩掛けを宅急便で送って欲しい、と仰った。送り先を訊くと『佐渡島です』と仰る。
島しょ部は配送料金が異なる場合があるが、佐渡島はどうなのか、私には知識がなかった。レジ横に置いてある配送料金表にも表記はない。
困っていると、
「SCで訊いてくる!」
と言ってYさんが走ってくれた。程なく帰ってきて、
「『島しょ部扱いにはならない』って!」
と教えてくれた。佐渡島宛の荷物を扱うことは時々あるそうだ。さすがである。
ありがとうSCさん、と感謝した。
こちらで預かったお忘れものを預けに行くと、どんなに忙しくても
「はあい、ありがとうございます。確かにお預かりします」
と誰かが必ず言って、にこやかに頭を下げてくれる。その様子に義務的な感じは受けない。
ちっとも得をするわけではないし、どちらかというと面倒が増えるのだが、彼女たちが嫌な顔をするのを見たことはない。
タクシーに乗ろうとする、足元のおぼつかないお客様に付き添って、タクシー乗り場まで荷物を持ってご一緒している姿も見かけたことがある。
この時もSCさんは
「ではお気をつけて。よろしくお願いします」
と言って運転手に向かって丁寧に頭を下げていた。
そこまですんのか、と正直驚いた。
こうなると最早スーパーの従業員ではなく、ホテルマンみたいである。
以前、三百枚を超えるハンカチの熨斗掛けのご依頼があった。オマケに小さな熨斗紙に、「『○○協議会』という文字を入れて欲しい」というご要望である。
名入れはSCさんの仕事ではあるが、
「日は先だけど、こんなに大量には無理よねえ」
とDさんが思案しいしい、SCさんに相談に行くと、
「はい、やっておきます」
という清々しいばかりの返事が返ってきて、ビックリしてしまったらしい。更に
「熨斗掛けもしますよ」
と笑顔で言われたが、Dさんも流石にそこまでは頼めず、私達で手分けしてやることになった。
「かえって頼みづらくなっちゃったよ。『いえいえ、こっちでします』って言っちゃった」
とDさんは苦笑いしていた。
出来上がってきた熨斗紙は余分が十枚、用意されていた。こちらが頼んだものではない。
「急に数が増えることになったりしたら、お客様がお困りになると思ったので」
という、SCさんの配慮をそのままお客様に伝えると、
「そこまで考えて下さったんですか。本当にありがとうございます。いやあ、おたくに頼んで良かった」
とえらく感激されてしまった。
因みにこの熨斗、何枚頼もうと無料である。ウチは特に儲かる訳ではない。
毎日怒涛のように押し寄せる仕事の山を華麗且つキビキビと捌きながらも、周囲に笑顔と丁寧な心遣いを忘れないSCの方々は、私から見たらちょっと信じられない。
ああいうのが『神対応』っていうのかな、と感心したり、尊敬したりしながら、とても真似できないなあ、といつも思う。
『我が店の顔』の彼女たちは今日も眩しい笑顔である。