取り越し苦労

生来の不器用である私は、昔から料理全般が苦手である。だから結婚が決まった時、母は非常に心配して私に料理の『特訓』を始めた。
仕事をやっている間は忙しさを理由に逃げていた私も、式の一カ月前になって退職してからは言い訳もできず、渋々台所に立つようになった。
目玉焼きを作ることすら怪しかった私は母に呆れられつつ、色々と教わるようになった。

なかでも私が苦手だったのは包丁さばきだった。
特にキャベツの千切りは非常に下手で、私の『作品』を見た妹に、
「お好み焼きに入れんの?」
と真顔できかれたくらいだった。
母にやかましくアドバイスを受けながら、千切りキャベツを出す日は必ず切っていた。そのうちかなり細かく切れるようにはなった。それでも父などは、
「オレはもうちょっと細かい方が好きや」
と容赦なく落第点をつけてくれるので、その度に
「ああ、私ってダメだなあ。こんなので無事に『妻』が務まるのだろうか」
と落ち込んでいた。

夫はキャベツの千切りが大好きな人である。結婚当初から「毎日朝晩に沢山食べたい」というので、私は心密かにがっかりし、内心そんな事を言う夫をちょっと恨みつつ用意していた。
ある時夫が珍しく早い時間に帰宅し、台所に立って格闘している私の手元を見て一言、
「キャベツ沢山切るの、面倒臭いことない?スライサー使ったら良いのに」
と言ったので、
「持ってないもん」
と頬をふくらませると、
「買うたろ。フワフワキャベツが一瞬で大量に出来るぞ」
とニコニコした。

その頃の私は物凄く変なこだわりを持っていて、
「道具を使って時短するなんて、害悪。手抜きは自堕落主婦のすること。私はそういう人間ではないようにしなければ」
と固く思い込んでいた。
だから夫からスライサーの使用を提案された時、主婦不合格の烙印を押されたような気がして、思わずポロポロ泣いてしまった。
夫は物凄く驚いた。
「どうしたんや?オレ変なこと言うたか?」
と言ったので、訳をポツポツ話すと、
「お前が時間短く労力少なく済んで、オレが美味しく食えるんやったらなんでもええやんけ。そういうことにこだわるのが『手作り』って言うんじゃない、とオレは思うぞ」
なぜそんな風に考えるのかわからない、といった風な顔をして、私の顔を覗き込んだ。

すぐに「そうよね」というほど素直でなかった私は、拗ねたままその日の夕飯を仕上げ、普通に夫とテーブルについた。その頃夫は毎日帰りが遅く、日付が変わってしまうこともしばしばだったが、その日は久しぶりに一緒に夕飯を摂ることができた。
食事が済んで皿を下げようと立ち上がった私に夫は
「あんなあ、楽せえよ。オレはお前がしんどい、辛い、苦手、と思いながら料理してくれると思ったらメシ旨くない。ちょっとでも楽しろ。毎日総菜は困るけど、しんどい時はええんやぞ。お前手抜き全然せんやん。お前がどんな奴か、オレはわかってるから」
と諭すように言った。
その言葉に、ふとそれまでの自分の価値観を見直しても良いのではないか、という気持ちになった。

私が拘泥していたのは『主婦たるもの、手抜きはすべきじゃない』『そういう価値観が絶対に正しい』『出来ないと主婦失格の悪い奴』という考えだった。そして嫌いなことを無理して頑張って、世間の言う『優良主婦基準』を満たしていますよ、と夫にアピールしていたのだが、そんな価値基準は全く夫の頭にはなかったのだった。
私の頭からは「料理する」本当の意味がいつの間にか綺麗さっぱりなくなり、「一生懸命努力する」ことがメインになってしまっていた。
今となっては笑い話であるが、夫はさぞかし重かったろうと思う。

家庭の主婦となって二十三年。今やスライサーもバンバン使い、「いかに楽するか」を考えながら料理するようになった。苦手意識はやっぱりあるし、好きではないけれど、そんなに苦痛ではなくなった。
「時代も進んで、価値観も変わる。色々便利になったら利用したらいい。自分をしんどい目にあわせるのは美徳なんかじゃない」
あの頃の自分に逢えるなら、こんな言葉をかけてあげたい。

今朝もスライサーでキャベツの千切りを作りつつ、そんな頃もあったなあ、と懐かしく思い返している。