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沸騰した鍋に蓋をすれば

世の中、無理は通らない。
無理を通せば道理は必ず引っ込む。引っ込んだ道理はどこかでちゃんと表に出てくるように、世の中の仕組みはなっている。
例えばちょっとくらい、ちょっとくらい、と身体に無理をさせながら頑張って仕事をやり遂げても、そのしわ寄せはちゃんと心身に出てくるようになっている。日々のキチンとしたメンテナンスを怠れば、身体も心もいつか悲鳴をあげるのは、分かり切ったことである。
大勢の人が『それはやめた方が良いんじゃないか』ということを、『いや、良いんだこのくらい、大丈夫だ』と押し切って強行した結果、悲惨な結果を招くことは往々にしてある。

『相棒』(テレビ朝日系)は二十年以上も続いているドラマだが、時折、深く考えさせられるような名セリフが出てくる。
その中でも私がいつも折に触れて思い出すのは、Season3の第十三話『警官殺し』に出てくる、主人公杉下右京(水谷 豊)のセリフである。
「沸騰した鍋に蓋をすれば、必ずふきこぼれるんですよ」
というものだ。
警察が組織ぐるみで隠蔽しようとした不祥事について調べまわる右京に対し、小野田官房長(岸部一徳)がやんわりと『これ以上関わるな』と釘を刺したのに対して、右京が目の前で煮え立つ鍋料理を見ながら述べた言葉である。
不祥事は隠しおおせるものではなく、真実はいつか白日の下に曝される。今、公にならなくても、いつか必ずわかる。警察という組織が、真実を隠すなどという、市民を裏切る行為をするのは絶対にやめるべきだ。膿は早いうちに出した方が良い・・・そういう右京の強い意志を含んだ言葉と受け取ったが、残念ながら小野田は『蓋』をしてしまう。そして『鍋』はやっぱりふきこぼれてしまうのだ。
「ほら、ごらんなさい」
声を怒りに震わせながら言う、右京のセリフには凄味すら感じる。

国民に今何が起こっているかをひたすら隠し、真実に蓋をし続けてきた国で、今何かが起こっているようだ。
連日のニュースのあまりの悲惨さと多さに、少なからずショックを受けている。
昨日事件のあった町は、夫が出張で長期間滞在したところである。知り合いも住んでいる。他人事とは到底思えない。
普通に生活をおくっている無辜の市民が犠牲になるのを聞くのは、それがどんな国の人だって悲しい。死んで良い人なんて、世の中に一人もいない。
狂ったように人を傷つけ殺めることは、どんな理由があったにせよ、許されるものではない。
犯人達はきっと『ふきこぼれた』のだと思う。
抑圧され、理不尽に耐え続けた結果、もう蓋の下に収まっていることが難しくなってしまったのだろう。

人類の長い歴史の中には、世の中に『蓋』をしようとする人間がいつでも必ず存在した。
そしてそれは必ず、蓋されることを良しとしない人間たちが『ふきこぼれ』ることによって、覆されてきた。
『蓋』は理不尽で、不自然な、うわべだけのコントロールである。『蓋』をされた外面は整っていて美しいように見えるが、そこには『無理』が重くのしかかっている。
自分の上の重い物は、どけたくなるのが普通である。間違っていると感じることは正したくなるのが人間というものである。
そんな当たり前のことを、何故か人間は学習せずに、現代までやってきている。

十四億を超える国民を統べ、国を正しい方向に導くのは、確かに難しいことだろう。この国が価値観の統一を試みるのは、ある意味しょうがないことかとは思う。
しかしインターネットが普及し、海外で活躍する文化人も増えた今となっては、もう今までのやり方は無理である。
皆、多様な価値観を知っている。『価値観の統一』などというものはもう出来ない。国民も皆分かっている筈だ。
このような事件がなくとも、何らかの形で無理は生じていただろう。或いはもういくつも生じていて、隠し切れなくなったことが表面化しているのかもしれない。
だとすれば戦慄する。

沸騰した鍋に、蓋をしても無駄だ。
いずれ、ふきこぼれるのだから。

どうかこれ以上、犠牲になる方と悲しむ家族が増えませんように。
傷ついたら、ちゃんとケアしてもらえますように。
毎日、祈るような気持ちでニュースを聞いている。