見出し画像

大好きなアンコール曲

演奏会の選曲をするにあたり、アンコールをどんな曲にするのか、というのは重要なことであるが、これが思いのほか難しい。
大体、演奏会のメイン曲は、プログラムの一番最後に持ってくる。その選曲は観客の感情がクライマックスになるように、考えに考えられて決められる。
さあ、そこまでは選んだ。でも、これが『本当の最後』の曲ではない。客はもう少し何か味わいたい。『あと少しの何か美味しいもの』を待っている。量は多くなくて良いけれど、良質で、今日味わった感動を一言でまとめてくれるような、何かを。
その要望を寸分も外すことなく正確に探り当て、『そうそう、要するにそういう感動を求めてたんですよ!』という客の感動の要約を表現できる選曲をするのは、我々素人にはなかなか難しいことである。

更に、素人の楽団に於いては、アンコールは客のことばかりを考えてもいられない。
打楽器に降り番(担当楽器がなく、舞台袖で控えていること)が多い曲ばかりがプログラムに続く場合、最後のアンコールくらい全員一緒に舞台に立たせてやろうか、という配慮も動く。すると打楽器がジャカジャカ賑やかな、メインプログラムとはちょっと毛色の変わったものが選ばれることにもなり得る。
今回が最後の舞台、なんて団員が居る時は、ソロを取らせるなんてことまではしなくとも、その人の担当楽器がバンバン活躍する曲を選んだりすることもある。
演奏会後の団運営を円滑に行う為にも、決して疎かに出来ない気配りである。

こういう『大人の事情』に加えて、曲の長さを考慮に入れねばならない。
アンコールは三分程度の、短い曲にするのが基本である。長いコンサートを聴いて下さってお疲れの聴衆に、これ以上耳を疲れさせないという配慮だ。
人間、何かに飽きるには三秒あれば良い、ということもある。
もっとぶっちゃけの話をすると、疲れている奏者に無理をさせられない、という事情もある。

普通のプログラムの選曲をする上にこういう事情を加えて、アンコール曲は選ばれる。
季節性を考慮し、技巧面で比較的平易なものを選ぶのは言うまでもない。
選ぶ人の好みが別れるところでもある。
私が推したのは大抵、『賑やかで単純なリズムで、聴いた人が一緒に鼻歌を歌えて、演奏会の幕が下りた後、華やかな気分で会場を後にすることが出来るもの』だった。
クラシックだとマーチが多くなる。打楽器の参加人数は少なくなってしまう(スネアドラム、バスドラム、ティンパニ、シンバル、鍵盤系)が、気分が上がる要素は十分すぎるくらい十分にあるからだ。
ポップスは色々あるが、私が好きでよく推した曲の一つが『マツケンサンバ』である。

誰が何と言おうと、大ヒットした平成の名曲である。
泣く子も黙る時代劇の大スター、あのマツケンが、目にも鮮やかな衣装を身に纏い歌い踊る、と言うだけでもかなりの衝撃を受ける曲だ。
原曲が楽しいのは言うまでもないが、これが吹奏楽編曲になると、また別の楽しみ方がある。

先ずは定番、コスプレ。
団員があの衣装を着て踊る。最早楽器なんて吹いている場合ではない。栄えあるマツケン役に選ばれた団員は、ちょんまげの鬘を着けて、髪からキラキラした何かを垂らし、懸命に振り付けを覚えて踊る。勿論腰元ダンサーズも一緒だ。
マツケンご本人はしれっと笑顔で踊ってらっしゃるが、あの踊りはかなりの激しさらしく、マツケン役になった人は大体本番後、ハアハアと息を切らせている。
しかしいつもは黒いタキシードなどの姿で真面目な顔をして吹いている楽団員が、まるで取りつかれたように羽目をはずしてキラキラ衣装で踊っている様は、お客様をある意味安心させる?のかも知れない。

次に、手拍子のしやすさ。
マーチの手拍子が難しいわけは以前書いたことがあるので、ここでは省略する。
マツケンサンバの場合、確かにマーチと同じ二拍子で取ることが出来るのだが、細かいリズムが様々なパートによって交互に細かく刻まれており、一人だけ突出するとか、リズムを崩すのがとても難しいように書かれている。
お客様は自然とそれらを聴きながら、手拍子をすることになる。だから速くなったり遅くなったり、しようがない。
流石は宮川アキラ先生、本当に良く出来た曲だと思う。

アンコールには『後味の良さ』も大切だ。
聴き終わった瞬間に、
『ああ、今日のコンサートは楽しかった!また来たいな』
という嘘偽りのない感想を観客から引き出せるかどうか、という重要な役割を担っているわけだが、その点に於いて、マツケンサンバはこれ以上ないくらい、完璧なのである。

今度の定期演奏会ではやらないけれど、いつかまたやりたいなあ、マツケンサンバ。
Ole!