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巾着トラウマ

急に秋らしくなった。買い物の時、ついつい煮物や鍋物の材料に目が行ってしまう。
昨日の夕飯後、夫と何気なくテレビをみていたら、油揚げで作った巾着のレシピを紹介していた。中味はウインナーやモッツアレラチーズなど、私にしてみるとちょっと斬新なものも入っていたが、野菜やこんにゃく、卵、餅などを入れても美味しそうだ。早速明日の夕飯の一品にしよう、と決めた。
夫がしみじみと
「うまそうやなあ」
と言ったからである。
なんて出来た嫁なんだ、と思われるかも知れない。だが、私がこのメニューを作ろうと思った理由はそれだけではない。
ちょっとしたリベンジのつもり、だったのである。

今も決して料理上手ではないが、新婚時代の私の腕前ときたら、悲惨なほどお粗末だった。目玉焼きすら危うかったし、どの調味料をどのくらい使えばどんな味になるのか、てんで予想がつかなかった。今でもやや怪しいが、この頃よりはいくらかマシになっていると思っている。今の時代はアプリという強い味方もあるし。
油揚げの巾着は母の得意料理だった。私も大好きで、母の作るのを傍らでよく見て、時には手伝ってもいたから、これくらい作れるわ、と高を括っていた。
新婚時代のある日、私はこれを夕飯に作ることにした。油揚げの油抜きをして二つに切って袋状にし、具を詰めて入り口を留めるまでは難なく出来た。

問題は味付けだった。
出汁の取り方は嫁入り前に母から徹底的に仕込まれたので、出汁を取るのは簡単に出来た。当時は鰹節を短時間煮立たせる簡単な方法一択だったが、そこそこ上手に取れていたと思う。
だが、出汁だけでは『味』はしない。当然砂糖やら醤油やらを使わねばならないのだが、どんなにしても母の作ってくれたような味は再現出来ず、お世辞にも美味しいとは言えないものが出来上がった。
頼りない新米妻の私は、折角の自分の努力が水の泡になったことが悔しいのと、空腹で帰ってくる夫に申し訳ないのと、自分の不器用なのが情けないのとで、半べそをかいてしまった。

帰ってきて落ち込む私を見た夫は、話を聞くと鍋を覗き込み、
「大丈夫やって。なんとか食えるようにしよう」
と言って自ら台所に立ち、味を見ながらちょいちょいと味付けをした。
暫くして、
「これでどうや」
と差し出してくれたお玉の中の煮汁は、懐かしい母の味に近かった。思わず
「美味しい・・・」
と呟いたら、
「料理なんて、慣れや慣れ。そのうち上手くなる。またボチボチ研究しいな」
と軽く言って、手ずから巾着を盛りつけてくれた。
食べながら私は主婦失格だなあ、と落ち込みはしたが、さりげない夫のフォローがしみじみと嬉しかった。
まだ私が可愛かった頃の話である。

しかしそれからは巾着がトラウマになって、なかなか作る気になれなかった。巾着を作ろうと思うと、またあの時みたいに失敗するんじゃないか、と怯えて別のメニューにしてしまう日が続いた。その内段々マメな料理をするのが億劫になり、色々な具を詰める手間のかかる巾着は、私の定番レシピからは長い間消えたままだった。だから今回、巾着を作ったのは本当に何十年ぶりである。
具はウズラ卵、人参、こんにゃく。夫が好きなウインナーも入れてみた。どれも小さく切って少しずつ入れ、口を爪楊枝で留める。
出汁はあの頃とは違って、今は昆布と鰹節でとっている。砂糖、醤油、みりん、で落し蓋をして六~七分煮れば出来上がりである。

「お、巾着やな」
夫がテーブルを見て嬉しそうに言う。あまりこういう和風のおかずを喜ばない人ではあるけれど、今日は少し気温が下がってきたから、こういう煮物みたいなものが恋しい気分なのかもしれない。
久しぶりに食べる巾着は美味しかった。ウインナーも案外煮汁の味とマッチしている。ウズラ卵を使うのは、子供のお弁当以来ではないだろうか。
巾着をあてに、夫は焼酎をサイダー割にして飲んでいた。まだ熱燗が欲しい、という感じではないのだろう。
「美味しいね」
「やっと秋になったね」
お互いにウンウンと言いながら、温かい巾着に舌鼓を打った。

という訳で、本日私は巾着トラウマ?を無事卒業した。今年の秋冬の定番料理として復活させようと思っている。
でもあんまり登場させると、いつか夫にあの時のことをからかわれそうだから、ほどほどにしておこう。