大人の事情
いくつかの吹奏楽団で、クラリネットのパートリーダーをやらせてもらったことが何度かある。
へえ、凄いですねと言われそうだが、実は学生さんの吹奏楽部とは違い、大人の吹奏楽団のパートリーダーには演奏技術はあまり必要とされない。
それよりも『人間関係調整能力』みたいなものが物凄く要求される。
世代間ギャップを埋める。技術ギャップを埋める。癖のあるメンツを穏やかにいなし、実力はあるのに引っ込みがちな人を、本人が嫌がらない程度に、慎重に見極めながら少しずつ表に押し出す。
パート全体を見て絶妙なバランスになるよう考え、人間を適度に『混ぜる』。
演奏するのと同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に難しい仕事である。
技術の巧拙は、入団試験を実施していない団では、多かれ少なかれあると思う。
だから必然的に『○○さんはピッチが合わせづらい』とか、『✕✕さんはオーバーブロー気味に吹くので、周りの音が聴こえなくなる』などという理由で、特定の個人の横で吹くのを嫌がる人は居る。『アイツの隣で吹きたくない』というヤツである。
言い分は物凄くよく分かるし、おっしゃる通りだと思う。しかし、誰かがそれを我慢しなければならない。
では誰に我慢してもらうか。その人選にも非常に気を遣う。
若い子に妙に遠慮させてはいけない。かといってうるさがたの年配の頑固親父に頼んだりすると、とんでもないことになってしまう。
落としどころをよく見極め、ベストではなくても、より多くのパート員にとってベターな案を捻り出す。
譜読みの方が余程楽な作業である。
技術的な文句なら未だしも、
『あの人どうしても嫌い』
『顔を見るとイライラする』
などという、根源的な理由の場合はもっと困る。俗に『大人の事情』なんて言う類のものである。
これは『我儘』の範疇に入るとも言えるが、生理的に嫌なものを我慢してまで吹くのはどうか、とも思えるから悩ましい。
『イヤなら辞めなさい』
と職場なら言えるんだろう。
しかしここはみんながそれぞれの価値観に基づいて遊ぶ、『趣味』の場。みんな出来るだけ心地よく、快適に過ごしたい。
というわけで、そういう『我儘』もある程度は聞かねばならない。
しかし、あんまりしっかりパートリーダーの任務にロックオンされてしまうと、自分が何のために楽団に居るのかが分からなくなってしまう。つまり吹奏楽が趣味なのか、仕事なのか分からなくなる。
割り切りと諦めと、それでも吹くのが好き、という強い気持ちが必要になる。
現在はパートリーダーではないが、その大変さが分かるから、私は文句を言うことはしない。せめてもの、ささやかな『協力』のつもりである。
私は職場でシフト作成を担当している。分かりやすく言うと誰が何時にどれくらいレジに入るか、の当番表みたいなものである。
一目見て、『あ、今度は誰さんがレジ当番ね』と分かるようになっているのだが、これを作成するのが超絶面倒くさい。
レジ係だけの時は良い。簡単である。それぞれの勤務時間に応じて割り振れば良いだけだ。
問題は売り場担当者がレジに入らねばならない時間帯である。
休憩は大体、出勤から三時間後に取る決まりである。まずこれを最優先する。
あとは例えば荷物の到着する時間は荷受け担当をする人は、到着時間にはレジに入らないようにせねばならない。
店長との面談や、商品の勉強会などもちょくちょくある。頭が痛いのはこういう予定は定期的にあるのではなく、ランダムに組まれることである。
こういった自分では調整しようのない外的要因に加えて、ここでも『大人の事情』が入ってくる。
『○○さんはレジがあまり得意ではないから、一人にするのはやめて』『靴と服飾の担当者は交互にレジに入らないと不公平だ』『✕✕さんは何時に休憩に行けないと不機嫌になるから気を付けて』等々、『知るかあ!』と叫びたい事情がいっぱいある。
ややこしくてひたすら面倒くさい。
こちらは趣味とは違って、『好きでやっている』訳ではない。『シフト作成手当』なんてのも出ていない。
しかし給料は貰っているからいい加減にはできない。一応頭を悩ませつつ、なんとか作成する。
しかしそれでもあちこちから怨嗟の声が漏れるのを聞くと、時々嫌になってしまう。
『そこまで言うんやったら、自分で作らんかい!』
と心の声が喉から飛び出しそうになるのを、グッと抑える。
『大人の事情』は面倒くさい。
『大人の』と言うけれど、なんだか子供っぽい事情ばかりだなあ、といつも思う。案外子供の方が聞き分けがあったりするんじゃないだろうか。
人間って大人になっても変わらないんだなあ。
三つ子の魂百まで。昔の人はよく言ったものだ、と思う。