コミュニケーションに必要なもの
私の居る靴・服飾雑貨のレジには、時折耳の不自由なお客様が来られることがある。毎月ざっと四、五人は来られると思う。
ご年齢も性別もさることながら、私共とのコミュニケーションの取り方も、本当に十人十色で興味深い。
店には一応、耳の不自由なお客様の為の接客マニュアルも用意されているのだが、ほぼ役に立たない。臨機応変に、お一人お一人に応じた対応をさせて頂くことになっている。
慣れた方は、ご自分で小さなブラックボードをお持ちだったりする。
書いたらさっと消せて繰り返し使えるもので、大きさは掌くらいか。薄いので、かなり小さな鞄でも収まると思う。携帯し易く、便利な道具だ。
レジにお越しになって
『この靴の二十三センチの在庫はありますか?』
等と書いて、こちらに見せて下さる。
この方法だと仰りたいことが分かりやすく、スムーズにご要望にお応えできるので大変助かる。
こちらは大きめのメモ用紙を用意し、答えを書いてお見せする。
黙ったまま、お互いに板と紙の見せ合いが暫く続く。
お客様はふんふんと頷いたり、あーあという風に肩をすくめたりしながら読んでおられる。
お帰りになる際には大体の方が、口を動かしながら『ありがとう』の手話をして下さるので、なんとなく覚えてしまった。
コミュニケーションって表情による部分が随分大きいものなんだな、とつくづく実感させられる。
最近はスマホで文章や欲しい商品の写真を見せて下さる方も多い。
先日来られた男性は初めてお目にかかる方だった。
レジに向かって無言でつかつか歩いてこられたので、何事だろうと思わず身構えたら、いきなりスマホを取り出して画面をお見せになったので、ああ、耳がご不自由なのだな、と分かった。
画面には軽量で人気の、紳士靴の写真が写っていた。ウチの店でもお取り扱いがある。
私はメモを取り出して
『お取り扱いございます。何センチをお探しですか?』
と書いてお見せした。
お客様はそれを見てウンウンと頷きながら、
『25』
という数字を画面に出して下さったので、商品のあるところまでご案内した。
この方もやっぱり『ありがとう』と言いながら、手話でお礼を言って下さった。
文明の利器って素晴らしい。スマホの偉大さをしみじみ感じる。
あるご常連の方は、見るのも少しご不自由である。初めて接客させて頂いた時は、ちょっと対応にまごついてしまった。
外見からは何もわからなかったので、
「〇〇円頂戴いたします」
と普通に告げると、お客様は黙ったまま、ご自分の耳を指差して、手を顔の前で左右に動かされた。その時初めて、ああ聞こえておられないのか、と分かった。
それじゃあ、と思い、レジの上に出るかなり大きな値段表示を手で示したのだが、今度はご自分の目を指差し、首を横に振って『分からない』という動作をなさる。え、目もご不自由なのか、どうやって値段をお知らせすれば良いだろう、とちょっと焦ってしまった。
しかしよく考えると白杖は使っておられないし、商品をご自分でお選びになっておられるので、見えないということではなく、『見え辛い』ということなのかな、と思い至った。
そこでメモに大きく値段を書いてお見せしてみると、嬉しそうに何度も頷かれて、人差し指と親指で〇を作ってニッコリなさった。
この動作を拝見して、かなり大きな字だとお分かりになる、ということがわかったので、それ以降は来られる度に、合計金額をメモに大きく書いてお見せすることにしている。
最近は雰囲気で察しておられるのか、接客する相手が私だとお分かり頂いているようで、来られるとニコニコして下さる。
お互いの間に会話は全くないのだけれど、ちゃんとコミュニケーションが成立しているように思う。最初こそ戸惑いは大きかったが、慣れるとこれが私の『普通』になってしまっているから、面白い。
お見送りする時は、なんだか温かい思いに満たされる気がする。きっと良い方なんだろうな、というのが伝わってくる。
不思議なものである。
言葉がちゃんと通じていても心の通わないお客様もいらっしゃるが、言葉でのやり取りは不可能でも、こんな風に心と心でやり取りできると感じられるお客様もいらっしゃる。
結局人間のコミュニケーションに一番必要なのは、言葉以上に『お互いに相手を思いやる心』なんじゃないかな、と思っている。