ハッタリ上等
今の職場に入って間もない頃、ビシバシとお客様をさばく先輩パートの姿が眩しくてつい、
「凄いですねえ」
とため息混じりに呟いたら、
「凄くなんかないですよ。ハッタリかますのが上手くなっただけです」
という返事が返ってきて、思わず吹き出したことがある。
『習うより慣れろ』とは言うが、接客姿勢というのは人数をこなせばこなすほど、磨かれてこなれてくるもののように思う。
先日、一人の男性客が新人パートのIさんのレジにこられた。
一枚のハンカチをお買い上げになり、クレジットカードでの支払いを希望されたのだが、暗証番号をお忘れのご様子である。しばらく首をひねって思案しておられたが、やがてせかせかと番号を押された。
しかし端末は『暗証番号エラー』の表示が出て、ピーというエラー音が響いた。
男性は目に見えて苛立った様子を見せた。そしてもう一度、腹立たしそうに暗証番号を押した。
端末はまた同じ反応をした。男性は悔しさと苛立ちを益々露にした。
すかさずIさんが
「三度違う暗証番号を押されますと、ロックがかかってカードがご使用出来なくなりますが」
とマニュアル通りの忠告をすると、男性はIさんを睨みつけて声を荒げた。
「そんなこと、間違える前に言えよ!」
理不尽な言いがかりである。
可哀想に、Iさんは目をパチクリさせて固まってしまった。
しょうがないので、横から助け舟を出す。
「お客様、恐れ入りますがもう一度押される前に、暗証番号が正しいかどうかのご確認をお願い出来ませんでしょうか?」
この手のチキンオヤジには、なるべくプライドを刺激しない言い方をするに限る。下から出つつ、言うべきことは言う。
「フン、もう要らねえよ!」
男性はカードを引っ込めながらぶつくさと往生際悪く呟き、商品を放置したまま、背を丸めて立ち去った。
「どうして私が怒られるんですか?私、悪くないのに」
Iさんはしょんぼりと肩を落とした。気の毒だが、ちょっと笑えてしまう。
このような場合、Iさんの『どうして』は慨嘆を表しているのではない。『本当に理由が分からず、疑問に思っている』のである。
小学生みたいで、この反応もなかなか新鮮なのだが、それは一先ず脇に置くことにした。いずれにせよ、彼女が傷ついたことに間違いはない。
「プライドの高いお客様は、『間違えてますよ』って指摘されたことそのものに、腹を立てるんですよ。Iさんが悪いから怒られた訳じゃありませんからね。気にしないようにしましょう」
そうフォローしたが、Iさんはまだ納得できないようだ。でしょうね。まあ、追々わかってくれると良い。
働き始めて三年目。人と接する仕事は面白いけれど、十人十色とはよく言ったもので、びっくりさせられるようなことや、冷や汗をかくような事態もしょっちゅう起こる。面白さと表裏一体だ。
それでも今回のチキンオヤジのような人に向かって、相手のやるべきことをやんわりと知らせつつ、こちらとは関係のないこととしてしっかり境界線を引けるようになったのは、やはり『慣れ』の力なんだろうと思う。
必要以上にお客様の下に出ない為には、ある程度自信を持って会話できる必要がある。つまりこの件に関してはウチの店としてはこうさせて頂きます、と堂々と言わねばならない。
知識はこの時必要になる。しかし、百点満点である必要は必ずしもない。
店としての『こうありたい』『こう判断するのが妥当』という感覚が自分に備わってくれば、多少失敗することがあってもビビらなくなるものだ。
知識の柱よりも、自分の芯が太くなる。ちょっとしたことでは揺らがなくなる。揺らぎそうになる前に回避する術が本能的にわかり、反射的にそれを行うことが出来る。
こうして究極のハッタリ術を身につけた上で、お客様への敬意を忘れなければ、もう怖いものなしだと思う。
ハッタリ上等。
接客業に於ては、知識を増やすことよりも、案外こっちの方が重要なのかも知れない。
舐めてかからないよう自戒しつつ、私は今日も元気良くハッタリをかます。
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