尽きせぬ後悔
人間の女というのは、何かにつけて群れて争いがちである。幼稚園児くらいから、その傾向は現れる。
自分を守る為にいやいや群れる人もあれば、『こここそが自分の居場所だ』と自分に言い聞かせながら、敢えて群れの中に突き進む人も多い。
どちらにしても、後々後悔が残ることになる。
今から四十五年ほど前、私が小学校六年生の頃の話である。
クラスに一人の転校生がやってきた。
隣の席になった彼女は穏やかで気が長く、絵を描くのが好きだった。
すぐに打ち解け、しょっちゅうお互いの家を行き来する仲になった。
彼女をちーちゃんと呼ぶようになったのは、それから間もなくのことだった。
ちーちゃんは明るくて気さくで、誰とでも遊んだ。
運動神経も抜群で、跳び箱なんか男子に混じって跳んでいた。足も速く、運動会のリレーではアンカーを務めた。
身体がとても柔らかく、平均台や鉄棒などの器械体操も得意だった。
でも自慢したりすることはなく、ただ運動することを純粋に楽しんでいた。
裏のない、気持ちの良い子だった。
しかし、誰からも人気のちーちゃんを妬んだのか、ある時期から特定の女子のグループが彼女を除け者にするようになった。
ちーちゃんはとても色白だったが、酷いアトピー性皮膚炎で、肌はボロボロだった。目元はいつも赤く皮が剥けたようになっており、痒そうに見えた。
そんなこと誰も気にしていなかったのに、この女子グループは教室の隅に固まって、ちーちゃんの肌のことをヒソヒソ言って笑った。
本人に責任のないことを理由にいじめるなんて、卑怯だ、酷いと思った。
最初は肌のことを嫌っていただけだったのに、終いには性格が悪いとか、身体が臭いとか、根拠のない理由を並べ立ててちーちゃんを蔑んだ。
でもちーちゃんが彼女たちに怒ることはなかった。
ただ時折、みんなから見えないところで一人泣いているちーちゃんを見かけるようになった。
分かり易いいじめだった。
この女子グループは教室内で支配的な存在だった。
意見に従わないと自分が仲間外れにされてしまう。
彼女たちがちーちゃんを悪く言って仲間外れにすると、徐々に従う者が増えていった。
あんなに仲良く一緒に遊んでいたのに、私もちーちゃんから遠ざかった。自分もちーちゃんのように、いじめのターゲットになるのが怖かったのである。
積極的にいじめることはしなかったが、ちーちゃんから明らかに距離を置いた。出来るだけ関わらないようにした。
ちーちゃんが仲間外れにされていても、見て見ぬふりを決め込んだ。助けを求める視線に気付かないフリをした。
ちーちゃんはいつ見てもたった一人だった。
結局卒業まで、ちーちゃんは仲間外れのままだった。
見て見ぬふりをしたまま卒業した。
ちーちゃんは私学の女子中学校に進んだ。隣の県の、誰も進学しない学校だった。
その後の彼女の進路は全く知らない。
それきり、ちーちゃんに会ったことも、話したこともない。噂すら、耳にしたことは今に至るまで皆無だ。
それから先、学生時代のバイト先でも、就職した職場でも、子供のママ友の間でも、パート仲間同士でも、こういう状況に否応なしに立たされることは何度もあった。
その度に、中立を決め込んだ。
それが正しい在り方だと考えたから、というのもある。
しかし何よりも、あの時見た一人で泣いていたちーちゃんの背中が思い出され、それがチクチクと胸を刺すのが辛かったからである。
半世紀近く経った今でも、良心の呵責に胸が塞がる思いがする。
いじめは被害者の人権を蹂躙するひどい仕打ちであると同時に、加害者の心をも深く傷つける。積極的に関わろうと、見て見ぬふりをしようと、結果は同じだ。
謝りたくても謝れないこの苦しさと自責の念は、誰にも味わって欲しくないとしみじみ思う。
友情と信頼を裏切った人は、裏切られた人と同じくらい、辛く苦しい思いをする。
いじめをしてはいけない理由の一つであると思っている。
自分を大切にすることを知れば、自動的に他人も大切に出来るようになるものだ。
墓場まで持って行かねばならない後悔は、しない方が良い。