消化の仕方
接客業に従事していると、好むと好まざるとにかかわらず、まるでこちらをどこぞの家来かのように扱う人に度々出くわす。その度に『ああ、まただ』と残念な悲しい気分になる。
しかしこの残念に思う度合いは、勤務年数が長くなるにつれて薄れていく。感覚がマヒするのだ、とも言えるだろう。
そしてこういった人に出会った時の気持ちの、自分なりの『消化』の仕方を静かに少しずつ学んでいくのである。
この『消化』の仕方は人によって違う。
『こちらはあなたの思い通りには致しません』と大門未知子よろしく、凛と顧客の理不尽な要求や、失礼な振る舞いにノーを言うタイプ。
ウチの売り場だと、Yさんがこのタイプである。
このやり方が出来れば凄く精神衛生上良いだろうと思うが、皆なかなか出来ない。しかしYさんは
「こっちも人間なんだよ。ダメなものはダメって言わなきゃ。言いなりになるのが良い接客じゃないんだよ」
とキッパリしている。頼もしい姉御である。
勿論Yさんだって、妙な対応をされれば傷ついているに決まっている。でもお客様に断固として『その態度は人として受け容れるわけには参りません』と示すのは、大事なことだとも思う。
自分の仕事に対する誇りと自信がなければ、出来ない対応だと思う。ひたすら尊敬するばかりである。
ウチの黒一点のDさんのこう言った時の顧客対応は、ちょっと前に記事にさせて頂いた(拙記事『フニャフニャスキル』を参照されたい)。
Yさんが盾で攻撃をはねつけるタイプだとすると、Dさんは右に左に弾を避けて、上手い具合にスルスル逃げるタイプである。
まともに相手にしない、とも言える。
しかしDさんが何故あんな自然で物腰柔らかな対応をしつつ、自分の要望をしっかり通すことが出来るのか、と考えると、やはりYさんと同じく、
『ここから先は店として、ご要望に沿うことは出来かねます』
という線引きが、キッチリと出来ているからなんだろうと思う。
そして心のどこかに、『あなたも私も人間同士、お互いフェアに行きましょうや』という、ある意味凄みを帯びた気持ちを密かに持っておられるのだと感じる。
次はサンドバッグのようにじっと耐えて、後で
「聞いて聞いて!こんなこと言われた!酷い!」
と周囲に泣きついて慰めてもらうタイプ。ウチの売り場だと若いMさんがこれである。
心情は物凄くわかるし、いつも仕事に全力投球のMさんの姿を見ている人間としては、ハイハイ、ホントですよねえ、と一生懸命慰める。
しかし、直属の上司にあたるYさんからは、
「Mちゃん。そういう風にイチイチ反応してたら、疲れちゃうからやめた方が良いよ。周りの人も良い気分にならないし、職場の雰囲気が悪くなるから、みんなに言わないの。悔しかったら、私に言いなさい。聞いてあげるから」
と注意され、余計に落ち込むことになる。
見ていて気の毒になるが、これもMさんの成長過程なんだなあ、と思うとYさんの『愛の鞭』を受けて涙ぐむ彼女を、黙って見守るしかない。
勿論、心で『頑張れ!』と呼びかけながら。
かく言う私はどうなんだろうか。
最初の頃はイチイチ傷ついて、『もうこんな仕事嫌だ』『なんであんなオヤジに偉そうに言われなきゃいけないのか、バカバカしい』と気分がクサクサすることも多かったが、最近はそういうことがほぼなくなった。
どうしてかな、と振り返ると、やはり自分の心に『耐性』がついてきたように思う。
不完全ではあるけれども、商品についてのある程度の知識も、レジの対応も、身についてきた。それによって少しずつ『自信』が培われ、自分の接客姿勢を揺るがないものにしてくれているんだと思う。
だから今はそういうお客様に対応すると、私は静かに腹を括る。「来たな」と思う。
どこまでを譲って良いか。どこからを譲れないものとして、自分の心のテリトリーへの侵入を阻むか。
お客様とやり取りしつつ、常に心のバランスを取ろうと、懸命に試みる。
スリリングで緊張する時間ではあるが、ある意味醍醐味も感じる瞬間である。
良いお客様でも嫌なお客様でも、その出会いが自分に用意されたものだったのじゃないか、と感じることが時折ある。
どんなお客様に接する時も、私はそれらの人々を通して様々な角度から、自分を覗き見ているような気がするのだ。
毎日たくさんの気付きがある。その瞬間は嫌な気分になっても、後から振り返ると得難く貴重な体験をさせてもらったな、とつくづく感じることは多い。
やはり接客業は楽しい。