僕が文章を書くとき、必ずと言っていいほど、ほとんどの場合、「何を伝えるか」から決める。
受け取り手に訴えたいメッセージを決めてしまって、そこの着地点に向けて、話を構成する。
これは僕がサラリーマン時代―――書類上は今もサラリーマンだけど―――に植え込まれたもので、
「報告をするにおいて結論を先に述べよ」という相手の時間を奪わない儀礼的な意味合いと、
通信制の大学などで学んだ印象に残る強いプレゼンをする等の際に重視した点などが織り交ざって僕の中で醸成されたものだと思う。
「書くからには、聞き手に伝えたいテーマが明確になっていなければ、そこに価値が生まれないのでは」
みたいな不安から、という側面もあるような気がするけど。
これについて、僕は価値を認めている。
基本的に僕はしゃべりすぎるし、思考がよく飛ぶ。僕がきままに喋ると聞き手が苦しい思いをする時がままある。
(現に僕はこのままの流れで、マーケティングの話をしようとしていたのだけど、非常に脈略がない。)
なので、自分に余計な話をさせないためにも「伝えたいコト」を明確にしておくことはとても良いことだと思う。
しかし、今日は自分に自由な思考と、それをただ書き連ねる権利を与えたいと思う。
僕のリスペクトする忘れ物がとても多い兄貴分の人が「書きたいときに書きたいものを書いたらいいよ」と言ってくれた。(ような気がする)
というか、何度か言ってくれていたのだけど、つい最近のnoteを読むまで忘れていた。
とても有難いことだと思う。
もちろん、僕が勝手に受け取っただけかもしれないけど。でも、それでもきっと構わないのである。
ということで、今日は何も決めずに書きたいと思う。
さて、先ほどやめたマーケティングの話から始めることにしたいと思う。
僕は先ほど「伝えたいコトを明確にすることはメリットがある」と書いた。
伝えたいテーマを決めるときに、同時に定義されるべきものがある。「読み手」だ。
これは顧客と言い換えることもできよう。
これら、すなわち
顧客(だれに)
ベネフィット(なにを)
具体的な戦術(どんなふうに)
を明確にして「届くべき人に、欲しがっているであろう内容を届けること」がマーケティングである。
なので、基本的には世の中の仕組みはマーケティングだと思っている。
にも拘わらず―――僕の主観のバイアスがかかった意見だが―――日本人の多くは「マーケティング」という言葉を勘違いしているし、なぜか嫌な反応を示す人さえいる。
多くの日本人はマーケティングをPRか広告かプロモーションだと思っているし、場合によっては真逆の意味である「セリング(またはセールス)だと思っていることさえある。
端的にマーケティングという言葉を表現するなら「市場への最適化」だ。
マーケットは市場を意味するが、その市場に適応させていくことがマーケティングに他ならない。
そして、マーケティングの目的の一つが、セリング(セールス)を無くすことである。
一見すると矛盾したように聞こえるかもしれない。
なぜなら、どちらも「売り上げを伸ばす」という同じ目的を持っているからである。
あ、あともう一個脱線するけど、「売上」とか「お金」にも拒否反応を示す人も一定数存在する。
「清貧」という言葉があり、「お金に汚い」という言葉がある日本人は、「お金=欲望の塊」のようにとらえている節がある。
そして、この考えは僕の根底にも根深く残っている。
これを僕は取り払いたい。取り払いたいから何度でも言う。
サラリーマン時代に新人教育で割と訴えたことだけど、「売上を伸ばす」ということは悪じゃない。
お金を支払った時に、多くの人がこういうはずだ「ありがとう」と。
支払う金額に見合う価値を感じ、満足を得るためにお客さまは対価を支払っている。
お金は誰かのありがとうが形になったものであるはずなのだ。
儲ける、というと搾取だ!みたいになることさえあるけど、
誰かの感謝がお金になって、社会に貢献や便利もたらしたものが必要とされて売れて、売上が伸びて利益が生まれる、税金を納めて国の社会保障に使われて、そうして僕らの経済圏がまわる。
本来の、資本主義の仕組みはこうであるはずなのだ。
と、書きながらも「そんなことは綺麗事だ」「お金は欲望の塊だ」と僕の心の底に沈む感情は叫んでいるけど、それはそれ。
少なくても僕は、誰かのありがとうをお金に変えられる人になりたい。
さて、閑話休題。話を戻そう。
マーケティングとセリングの話だ。
マーケティングとセリングは同じ目的(売上を伸ばす)を持ちながら、実は真逆であると書いた。
これはアプローチの方向性が真逆なのだと僕は受け止めている。
セリングは消費者との最終接点である店頭を中心に、いわば売り込みをかけていく。
商品やブランドを知ってもらったり、好きになってもらう前に、まず買ってもらう、といえる。
これも真実で、実際に体験してみないと、美味しいかまずいか、便利かそうでないかは分かりにくいものもある。
だから、マーケティングはセリングをなくすことを目指すと言いながら、全くなくなることはない。
マーケティングのアプローチは逆である。
まずはファンをつくったり、興味も持ってもらう。
売り手が積極的に売り込まずとも、お客さんの方が望んで買いに来る。
いわば「選ばれる必然をつくる」ことがマーケティングなのだ。
市場調査から始まり、製品そのものの設計、デザイン、テレビコマーシャルやパブリシティ、口コミといったプロモーション…
そういったものを連動させながら、より「欲しい!」と思ってもらう状況を作り出すこと。
それがマーケティングだ。
さて、こんだけマーケティングの話をうだうだしながら、もうすでにマーケティングの話に飽きてる僕はほんと節操がない。
さて、駄文にお付き合いくださりありがとうございました。
ではまた。
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