努力のベクトル
どうも颯です。
突然ですが、皆さん努力してますか?かなり抽象的な言葉かつ、尺度もない言葉ですが、「ある程度努力してきた」と感じている人がほとんどだと思います。自分もその中のひとりで人並みには努力してきた自負がありました。
ただ、努力を努力と感じているうちは結構厳しくないかなと感じることが最近増えてきました。そこで努力することについて考えてみました。
嫌なことをやるのが努力
努力という言葉に対して、苦痛を伴わないといけないという認識が刷り込まれているような気がします。これは半分正解で、半分不正解だと思います。
痛みを伴った経験からは定着しやすいというのが本質で、嫌だと思いながらしたことすべてが定着するわけではないということです。
人それぞれ得意なことと不得意なことがあり、その中でも適正と呼ばれる部分が仕事においては大切になってくると思います。苦手だからやらないではなくて、適正が無いから別のことをするというのが努力だと思います。
努力する方向
がむしゃらにやり続けてもいい年齢は自分の中では25歳までだなと感じています。自分はデザイナーをしながら他のIT関連や、映像関連の技術を身に着けてきましたが、これはスキルを身につけることでフリーランスとして活動したいと思っていたからです。そのため、4時間睡眠を何ヶ月も続けて、ひたすら制作活動をしつずけていた時期もあります。これは努力のベクトルはある程度合っていて、年齢によってこのベクトルは変わると思っています。
ではなぜ25歳なのかというと、社会人として求められるものが増えるからです。一般的に25歳というと、大学卒だと社会人3年目、2年生の専門卒なら5年目になるということです。確実に新人というレッテルから外れた年齢になります。つまり効率を求められているということです。フリーランスは特殊なのですが、これがより顕著に出てくると思います。フリーランスは自分で打ち合わせ、制作、納品、管理、次の営業まで一貫して行う必要があり、時間効率を必然的に上げなければ生きていけません。
自分はこの点を今身につけていっている段階です。ただ、これを努力だとは全く感じていません。苦痛に感じる部分もありますが、これを努力だと認識しながら仕事をしていく感覚ならばフリーランスはやっていけないだろうなと感じています。
ワーカーホリック
フリーランスや自営業は一種の「ワーカーホリック」でないと厳しいと思います。なぜならワークライフバランスというものがそもそも存在しないような働き方だからです。定職についていれば定時すぎればそこからは仕事のことを考えなくてもいい時間になりますが、自分は常に
・どうすれば作れるだろうか?
・あれは収益化できるだろうか?
・ここに需要は無いだろうか?
・この人が本当に求めているものは何なんだろうか?
など常に考えています。この状況が楽しいし向いているなとも思います。だからこそ努力している感覚がないのかもしれません。ある種「努力のハードルが高い」状況とも言えます。人よりもこなさなければいけないタスクが多いことで、バイタリティが2倍以上になっているのを感じています。
努力しなくてもいい
別にいま安定して満足しているならば努力はしなくてもいいと思います。自分は常に満足すること無く追い求めるタイプなのでこれからもずっと動き続けていくのですが、そういう生き方をしたくない人も一定位数いると思いますし、働き方は人の数だけあるので、最適な生き方と努力するベクトルを見つけることが最優先じゃないかなと思っています。
ただ、努力したほうが報われる確率は高いとは思います。
最後までご拝読いただきありがとうございました。
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