中央線沿いに住んだの
お久しぶりです。更新怠ってごめんなさい。noteを書くきっかけを探しているのを理由に何も書かずにいました。
8月に延期になった東京初期衝動のトキョショキフェスへ行きました。10月から始まった仕事終わりだったので遅れてでした。
遅れていくライブって、ライブハウスの熱量が隙間から溢れていて、入るあの瞬間に自分が自分じゃなくなるような不思議な感覚になって、他にない高揚感があります。
トキョショキとは2019年に出会ってから長い付き合いで、ここ最近も色々とあったり、ある意味渦中であったり、思うことは色々あるんだろうけど、自分の中ではどうしても隅において置けないような大切なバンドで。こんな上から言うのも違うなって思うけど、どこかもう付いていけないよ!ってなってた自分もいたりもしたけど。けど!本当に大事で、自分の芯にある音楽で、構成してくれる一部分であって。
だから最近行けてなかったことも多かったけど、仕事で遅れてでも行きたいって思える自分がいて、その気持ちを信じて足を運んで良かったと思えました。
いつもは前に突っ込んでモッシュだー!ダイブだー!って感じで見ることがほとんどなんだけど、遅れて行ったのもせっかくだしと後ろの方でじっくり聴かせて貰いました。
たくさんの感情を持ったしーなちゃんの歌に込める思いとか願いとか、今日は特に強くて、上手く言えないけどその思いを東京初期衝動という音楽を通して目の当たりにして、耳にして、たった数年かもしれないけどこの音楽と共に生きてこれたという事実に胸が熱くなりました。
東京初期衝動という存在が僕の人生に及ぼした影響のひとつに高円寺に引っ越したってのがあって、少しでもこの音楽の世界に触れられたらいいなという思いがありました。だからこそ中央線とか高円寺とか歌詞に出てくる場所が身近にあって、他にもたくさんのお店とかが出てきて、何度も救われたし何度もこの街に住んでよかったと思えます。
これはもう時効だと信じて言いますが、えんどおぶざわーるどがリリースされる数日前の真夜中に今はなきカレー屋トリコ前に呼び出されてまだ世に出てないアルバムをいつも聴いてくれるから!って渡された日には朝までずっとずっと歌詞カードを見ながら聴き続けて、そんな夜を越えてからはえんどおぶざわーるどの曲って特別で、今日久々に世界の終わりと夜明け前を聴いた時は色んな思い出がフラッシュバックして心がキュッと苦しくて、切なくて、暖かくて、でもしんどくて、そして心地よくなりました。他の曲も全部全部だいすきなんだけど、特に今日印象強いのは、このセカオワと流星だったな。優勝!
いつもひとりぼっちで、他のトキョショキファンみたいにしーなちゃんはじめメンバーのことを、東京初期衝動のことを支えられてはいないけど、それでも自分の中で東京初期衝動の音楽を聴いている時、ライブハウスに籠っている時、その音楽をバンドを言葉を想いが本当にだいすきだし、大切に思っている気持ちは人一倍だと思ってます。
これからも僕はこのバンドの街で生きていくのです。