自分の心を解き明かすための手がかり
論理は重要か、感情は重要か、そんな対立をよく見る。正直、答えは明らかにどちらも重要で、どちらも上手く使える方がいいに決まってる。でもなんでだろうか、いつも二項対立にして、論評が繰り広げられているようにも見える。
理由はいつも後付け、論拠もいつも後付けなのだ。自然科学のような絶対的真理を追い求める時以外は、観察のような事実から機能的に結論が見出されることはなく、ほとんどの場合は結論が決まっていて、それをサポートする理由や論拠が見出される。「〇〇すべきか?」という議論は、結論が出るのかどうかわからない問いであり、討論自体を否定しないが、論を戦わせて優劣を競わせる以上に目的があるようには見えない。論点と視点を増やすという点ではとても優れたツールではあるが。
「〇〇すべきか」ではなく、「〇〇にしたい」を見つける方がずっと大切なのだ。主張を見つけずに論拠を探しても、論拠が見つかるたびに迷子になって、大切な主張を見失う。主張をあらかじめ持っておけば、論拠が主張を否定するとしても、主張を修正して、また新しい解釈や論を展開できるが、主張自体がそもそも欠けていると、この修正プロセスが機能しない。
「〇〇したい」という主張を見つけるためには何が必要だろうか。最終的には個人の気質や興味、関心に完全に左右するが、どんな時でも使える大事なマインドセットは「自分自身の心に素直になる」ということではないか、と思う。自分の心が思うままにできているか?できるか?が、主張の本質ではないかと思う。
では、「自分の心に素直になる」にはどうしたら良いのだろうか?これには、「これをやっておけばよい」と言えるメソッドはない。日々の小さな取り組みの中からある時ふと、「自分の心が何を言っているか」がわかるようになる瞬間が来る。それを待つしかない。
「そんな悠長なこと言ってられねぇ」と思う人には、一つだけ手がかりを提供しよう。これを毎日24時間、とにかく意識し続けてみてほしい。とにかく、これが難しい。
例えば、「私は、お休みの日にコーヒーを飲めて嬉しい。幸せな気持ちになった」と思ったとしよう。これで、「今の自分の気持ちをできる限り具体的に述べ」はクリアだ。
では、次に「なぜ幸せと感じているのか?」「なぜそれが嬉しいと感じているのか?」を論理的に説明してみよう。例えば、「私はコーヒーがそもそも好きで、フェアトレードやエシカルコーヒーなど自分の購買行動が他の人に及ぼす影響を踏まえると単純な飲み物を飲む以上の価値を得られていると感じられるからだ」としたしよう。
では、次に「なぜコーヒーがそもそも好きなのか」「自分の購買行動が他人に与える影響を考えると価値を感じられるのか」を考える。それを繰り返す。とにかく、自分のことがよくわからなくなるまで繰り返すのだ。大事なのは、「あれ、なんで私こんなことを大事だと思っているんだろう?」と思うか「これ以上、深くはならないな」と直感的に判断できるレベルまで突き詰めるのが大事だ。
あくまで、この方法は、「自分の直感を後から理由づけする方法」をトレーニングしてるにすぎず、正直にいうと本当に判断が必要な時には時間がかかって遅すぎるのだが、自分の直感を信じられない時はおすすめな方法である。直感を理由づけして、自分の中の正解にする方法がまさにこれなのだから。論理をこねこねしているだけで、本質的には直感を把握するための作業でしかないが、最初は仕方ない。
次第に慣れてきたら、直感をベースに論理を後から持ってきて、直感と論理を両方使って意思決定することを繰り返していけばよい。
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