私の読書録【料理の四面体】
面白いと言う評を聞いた翌日に、書店で目に留まったのがこの本である。
料理など特にしない私でありますので、普段なら絶対に買わない。例え面白いと言われても普通なら絶対に買わない。しかし面白いと言う評を聞いた翌日なら仕方がない。前日にその評を見たのも偶然なら書店に入ったのも偶然の気まぐれ、多くある本の中で私の目に留まったのもまた偶然である。ホンの偶然も三つ重なれば、私が本を買う必然になる。
料理の四面体 玉村豊男
料理を火、水、空気、油の4要素から分析して、料理とは何か、料理の基本とは、神髄とはを独自の視点で語りつくした本である。
奇妙なことに料理の本にも関わらず、ほとんど味について語られることはない。味についての記述は最低限である。
世界各地の料理を切り取りつつ、料理の本質は実は同じであると解説していく。アルジェリア式羊肉シチューと、とんこつの同一性、サラダとは何か、料理とは何かを独自の理論で論理だてていく。
火とは何か、料理とは何か。なんとも無理やりのようでありながら、納得せざるを得ない理論が構築されていく。
何度目かの頷きの後、この本に書かれている事が見えてきた。
よくテレビなどで料理のプロが、その場の思い付きでチャチャッと作って、それっぽい料理を作るけど、別に初めて作った創作料理だったりすることがある。主婦が冷蔵庫のあり合わせで何かしらを作ることがある。
料理のコツを掴むと出来る事だと思うのだが、これにはそれが書かれている。もちろんこれを読んでも、そんな事は出来ないが書かれている。
日々の努力の末に掴むモノなのだろうが、それはこういう事なんだ。
最近のジェンダー論的にはダメなんだろうが、これは男の料理の覚悟の書だ。
男の料理と言えば、豪快さが身上だと思いがちだが、とにかく焼いたら何とかなるだろう、煮たら何とかなる、とにかく火であぶれ。そういう最低限何をしたらいいかだけを抑えてやれば、何かしらに料理になるだろうってそういう覚悟なのだ。日々、料理をしない人が料理に向き合った時は、レシピと首っ引きになるか、覚悟が持つかのどちらかだ。
本来、初心者が料理をするとき、教本を片手にレシピに従い丁寧にやっていくのが正しいはずである。しかし多くの男の料理を作るものは、言うならば初心者ではなく不心得者なのである。だからあえて覚悟を持って料理するのである。できなくてもいい。食うのは自分だ。
そうこの本はその覚悟の背中を押してくれる本だ。火を入れたら料理だ。味なんかそのあとだ。味は料理の本質ではない。
これを読めば、プロの料理人は否定するかもしれない。料理ってそういうものではない。日々の積み重ねでたどり着くモノだと。
でも日々料理をしないものにとってみれば、最低限、何をすれば料理になるのという思いがある。この本は、魚を切って海水で洗えば、それは料理だと言う。木陰に置きっぱなしにして干からびたら、それは遥か彼方、1億5千万キロメートル離れた熱源で焼いたのだと言う。
これは料理書であって料理書ではない。これは覚悟の書である。
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