文章力と読書の話
僕には読書量相応すら文章力がない。これは自他ともに認める事実だと思う。小学校の作文なんて見返してみたら事柄と楽しかったですくらいしか書けていなかったし、今も作文コンクールか何かで賞をとれるレベルにない。といっても僕は読書を怠っていたわけではないのだ。僕の読書への入り口は絵本や紙芝居、かいけつゾロリを除くと小学2年生の少年探偵団シリーズから始まった。少年探偵団シリーズといえば江戸川乱歩の不朽の名作だ。
一応子供用の書籍としてポプラ社か何かから出版されていた気がするが、書いてある言葉は現代の日本語と若干の違いがあり、少し不気味な雰囲気の文章で表紙も不気味な差を感じさせる本だった。読んだはずなのにストーリーなんて今となってはほとんど記憶にないが、この小説だってこれだけ長い間残っている小説なのだから何か伝えたいものでもあったのかもしれない。
小学生の僕はそのことを全く理解しておらず、小林少年と明智探偵が怪人二十面相を退治する勧善懲悪型のストーリーだとして読んでいた。しかし、それはただ小説を読んでいるだけにすぎなかったのだろう。(その年齢でしっかりと思考しながら本を読めというのも無理難題な話だとは思いますが)それらの行為はフィクションに入り込んで登場人物に感情移入してその世界を楽しむという娯楽としての読書にとどまってしまっていたからだ。
確かに小さいころから本を読んでいると本をつまらないものとして捉えたりすることはなくせると思う。また、感情移入をして読むので読解力なんかは意外についたり、人に対する共感力の養成にも役立ったのだろう。
だが、読書だけでは文章力は鍛えられなかったのだ。作文というのはもともとある程度の型が存在している。この人の文章は型から外れているんじゃないかと思うような文章があってもそれはよほどの天才を除いて型を最初につけて型破りした人たちだ。無い型は破れない。文章力は型を身に着けて、何百何千と文章を書き続けて出来上がるものなんだろう。だから僕は文章を書くのが下手だからnoteを活用して文章力を鍛えられればいいななんて考えて今日も文章を書く。
PS:だからと言って読書をおろそかにしてしまうと語彙や言い回しが欠如してくると思うのでしっかりと読書をすることも重要だということは忘れないでくださいね。