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日々、自分らしさを捨てていく

「この写真はあなたらしい」
「その服は意外だね」
と日々、いろいろな人から言葉をもらう中
感じるのは
私という存在に一貫性がないこと。
 
 

言い換えると
私という個性は色も形も目に見えるものはほぼない
ということだ。
 
 

例えば服は全く違うテイストのものを広く所有しており
朝の気分で決めるし
メイクや聴く音楽までジャンルにこだわりがない。
 
 

昨日はMonicaを聴いていても
今日は浅川まきを聴く。
そして今はAnn Sallyを聴いているし
明日はPUBLIC ENEMYを爆音でかけているのかもしれない。
 
 

しかしある時期
私らしさとは何か考え、
周りが納得するよう そして自分が納得できるよう
演じた時期も確かにあった。 
 
 

その経緯を経て今感じるのは
私らしさ、私たり得る要素を探し始めると
行動の帳尻をそこに合わせるようになり
かえって居心地の悪さが滲み出るということだ。
自分という器(姿形)に内面を合わせようとする矛盾。
 
 

ジュエリーデザインは
いわゆるBlingBlingと言われるものを作るし
一方でフェミニンで華奢なデザインも
依頼者の要望に応じて創作する。
(その辺りの変わり身には毎回、周りから驚かれてしまう)
 
 

自分があるようでない。
だからこそ
なんの変哲も無い日常を面白おかしくできるのでは無いか
と、ふと今日感じた。
 
 

毎日、
「これが私だ」
と思う部分を捨てていくことにより
まといつく鱗が剥がれ落ちる。
そして新しい鱗を他にもとめたり
鱗がない状態で生きようとするかもしれない。
 
 

自覚する個性なんてなくてもいい。
捨てていった先に残るものが
生きてきた歴史を写す器なのだと思う。
 
 

Photo by 江 王 on Unsplash

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