ネギとマグロでねぎま!?焼き鳥の歴史とねぎまの起源となった葱鮪鍋🌈
ご飯のおかずとしてだけでなく、お酒のおつまみとしても高い人気を誇る『焼き鳥』。
その中でも、鶏肉とネギを交互に刺した『ねぎま』は、老若男女多くの人に愛され、親しまれている人気の串です。
焼鳥屋を訪れると、まず、ねぎまを注文するという方も多いのではないでしょうか?
現在、ねぎまに使われている鶏肉は、『もも肉』。
そこに長ネギや白ネギを合わせたねぎまは、肉のジューシーな油とネギのさっぱりとした食感が堪らない、最高の一品です。
実は昔、焼き鳥の肉は、鶏肉ではありませんでした。
江戸時代の中期の書物には、鶏を串に刺した調理法が記載されており、この時代には、すでに現在の焼き鳥の原形ができていたことが分かっています。
しかし、その後、平安時代に鶏は食用禁止となり、主に野鳥が食べられるようになります。
室町時代になると、「鳥の串焼き」が食べられていましたが、これも雉などの野鳥だったようです。
ねぎまは、江戸時代の人々の間で人気だった『葱鮪(ねぎま)鍋』という鍋料理から来ています。
葱鮪鍋は、文字通り、ネギとマグロを醤油・酒・みりんで煮込んだ鍋料理。
これが、ねぎまの起源とされており、当時から、この名前が使われていたんです。
江戸時代が終わりを迎える頃、日本では、マグロが食べられるようになります。
当時、赤身は、主に醤油に漬けて保存していました。
一方、醤油をはじき返す脂身『トロ』の部分は、腐るだけの余り物。
肥料に使われたり、廃棄されたりするのが一般的でした。
このトロの部分を使って煮込んだのが、葱鮪鍋です。
葱鮪鍋が広まった後、その簡略版として、ネギとマグロを串に刺して炙った『ねぎまぐろ』が登場します。
その後、日本は戦争を経験し、一気にマグロの価格が高騰。
このとき、マグロの代替品として使われるようになったのが、当時から、マグロより安価で売られていた鶏肉でした。
しかし、昭和初期はまだ、戦後ということもあり、鶏は高価な食材。そのため、焼き鳥も高級料理に位置付けられていました。
焼き鳥が大衆食となったのは、昭和30年代後半。
アメリカから『ブロイラー(短期間で肥育できるよう品種改良された若鳥)』が導入され、一気に一般家庭に普及したのがきっかけでした。
これにより、大衆焼鳥店が一気に増加。
平成に入ると、食の安全や高い品質を求めるようになり、一時期は流通量が少なかった地鶏が脚光を浴びるようになります。
こうして、焼き鳥は、ポピュラーな食べ物として定着していきました。
9月に入ってもまだ暑い日が続きますが、お店で、炭火が香る熱々の焼き鳥を、家族や仲間たちとワイワイ楽しみながら食べたいですね😌
最後まで読んでいただきありがとうございました🌈